ツカキの理念と歴史

創業から今日まで

塚本家は、代々五個荘で農業と近江麻織物の商いをしており、勝徳寺(浄土真宗)の門徒でした。二代目喜左衛門(法名・道堅)には子供がなく分家である塚本惣助家の次男を迎えて養子としました。江戸時代も後半のころのことです。

この養子(三代目喜左衛門=了観)は─のちに塚喜商店の創業者となるのですが─、12歳で同郷の加地源商店に勤め、北陸・関東方面へ呉服の持ち下りに従事します。そして近江商人の精髄を苦労しながら学び、ついに慶応3年(1867)に染呉服問屋『塚本喜左衛門商店』として念願の独立を果たします。
山陰道や九州方面への天秤棒や大八車を使っての持ち下り商いの日々。そして店を持って数回の引っ越しの後、明治28年に喜左衛門は現在の本社所在地に店舗を建築、本拠地とします。

まさに創業者である三代目喜左衛門は、近代日本の発展とともにその才覚と近江商人魂を発揮して、現在の塚喜商事の礎を築きました。
しかも創業以来、黒紋付に力を入れていたお陰で、大正3年には『鷹の羽印』の黒紋付ということで、宮内庁から御用達の栄誉をいただくことになりました。
老境に達した三代目喜左衛門は、その後五個荘に戻りましたが、日露戦争当時には南五個荘村の村長もつとめ、それこそあの善人遊見翁のような志をもって陰徳の業に励んだようです。

■苦難の時代を乗り越え、社業発展へ

四代目喜左衛門(喜蔵=了観の養子)は大正10年に家督相続をしましたが、ざっと歴史を見ただけでも大正12年の関東大震災、昭和2年の金融恐慌、昭和4年の世界恐慌、昭和11年の二・二六事件と立て続けに大変な苦難が待ち受けている時代に突入したのでした。


四代目喜左衛門が家督相続する大正9年の頃、六十名いた従業員は、昭和初年には、三十人に減っていました。妻の加代、別家、社員が一丸となってこの苦境を乗り切りました。一方大正11年に加代の実家(尾賀亀次郎家)の四郎(甥)を養子とし、昭和21年四郎は37歳で家督相続し五代目となりました。戦後間もない日本経済復興の嵐が吹き荒ぶなか、五代目喜左衛門は呉服の現金問屋として再出発し、刻苦精励して各地に支店を開設。社業を一層発展させました。昭和59年には、四郎の長男喜一郎が36歳で六代目喜左衛門を襲名し、毛皮、宝飾分野に進出。受発注業務ほかのコンピュータ化を図るなど、さまざまな合理化に努めています。(「会社概要」の「沿革」ページへ)

■発展を続けて

戦後の歩みをみると、昭和24年に株式会社として法人設立した後、昭和38年には東京八王子に支店を設け、以来、東京、東京浜町、福岡等に支店を設立。全国ネットの呉服現金問屋として展開しています。いっぽう昭和50年にはツカキ(株)を設立し、毛皮、カシミヤ、レザー、バッグ、宝飾へと業容を拡大し、きものビジネスに並ぶ柱として成長して来ました。


またきものビジネスでも従来の売り先だけでなく、貸衣装店、写真スタジオなどに向けての新商品を開発し、新チャンネルのルート開拓につとめているほか、不動産賃貸業として貸しビル・マンション・ワンルームマンションなども経営して今日に至っています。

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