2012年5月9日 (水)
私のふるさと 五個荘
新緑の美しい5月の連休に、五個荘の本宅(先祖代々の私の家)に帰りました。
五個荘金堂町(205世帯)は、平成10年に国の町並み保存地区に指定され、近江八幡と日野ともに近江商人発祥の地として知られています。
私は、南五個荘小学校に通い、大勢のお世話になった方がおられます。 親戚(創業者の妻の実家)の磯部家のひろし(博)ちゃんは今も仲良しで、次兄の磯部八郎さんは弊社の専務をされ、多くの縁者のいる五個荘はやはり弊社にとっても故郷です。
鯉の泳ぐ掘割の両脇に、寺院と近江商人屋敷がズラリと並びます。
早朝に、川掃除をボランティアで励んでおられます。
浄土真宗の弘誓寺の堂々たる山門、鐘楼です。 御堂は国の重要文化財です。
庫裡と書院の大伽藍も指定文化財です。 この寺は、滋賀県で比叡山の根本中堂につぐ巨大さです。
私の幼い頃、大変にお世話になったご老僧は、今年の2月に逝去されました。
勝徳寺(浄土真宗)では、代々、檀家総代を務めさせて頂いています。 連休には、長屋門(文化財)で、ご住職夫妻にお抹茶を頂戴しました。 庭の茶花の花筏(はないかだ)は素敵でした。
菅原道真公を祀る大城神社です。我が家はこの神社の氏子です。
いつも大橋・宮司さんは境内の様子などをお手紙にそえてデジカメで、心優しく知らせて頂けます。
戦時中に三越さんを抜いて、日本一の売上げを誇った「三中井百貨店」の本部です。
朝鮮半島、満州などに二十数店舗展開。 なぜ、こんな片田舎に本部があったのだろう・・
この本部・中江勝次郎邸宅は、現在、川口正敏家(私の同級生 非公開)となっています。
三井の五男、「中江準五郎邸」(同級生のひろこちゃんの家)は公開しています。
三中井の三男、中江富十郎宅は、「NPO金堂まちなみ保存交流館」として無料公開。
この屋敷は、「外与」(とのよ 繊維問屋 京都・大阪・東京)の外村与左衛門家の本宅(非公開)。
外村(とのむら)一門の宗家です。創業は、元禄13年つまり300年余り昔。
外村正弘さん総帥で頑張っておられます。
「外市」(とのいち)の外村市郎兵衛家の本宅(非公開) 当主の外村市郎さんは、弘誓寺の檀家総代をされ、
お宅の間口は、100メーター近くありそう ・・・。
「花文」山村文志郎家(非公開) 造園や東洋石創で有名で、社長はぶんちゃん(同級生)で、実力者。
近年、近江商人の大先達 星久の松井遊見さんの旧本宅を大修理。 立派!!
「外村宇兵衛邸」(外宇 公開) 御幸毛織㈱の初代社長であり、瀧定より養子でこられる。
近江商人屋敷街 鯉の泳ぐ川をはさんで左が塚喜(拙宅)、右の白壁が上記の外宇。
塚本喜左衛門家の玄関(非公開) 私は、ここから南五個荘小学校に通いました。
拙宅の店の間(でいのま)から、仏間を臨む。 毎日、祖父母といっしょに読経をしました。
弊社の創業者夫婦の額 近江商人の家は仏間を中心にして、ご先祖の額を掲げます。
ご先祖が、毎日、語りかけます。 「お前、気張っているかいな? 始末しいや」
家訓「積善の家に必ず余慶あり」と、先祖の額、床の間は家訓の掛け軸「長者三代の鑑」
離れ書院の床の間 「烏兎の双幅の掛け軸」がかかっていますね。
書院の前の庭 井戸の右手に大きな三角形の岩があり、子供の頃、滑り台として遊んだ ・・・
座敷の前の井戸に梅の古木 右手のシマ柄の岩は虎石 (タイガースファンに大うけ?)
「貝塚伊吹」の巨木 20Mはあります。木のてっぺんのトンビの巣で、よく遊びました。
土蔵(文庫蔵) 中はガラクタですが、一応、セコムはしています。ご心配なく ・・・
台所 なつかしい「おくどさん」で、昔、ご飯や好物のなすびを炊きました。
子供仕事は風呂焚きと庭そうじだった ・・・
後記 祖父の「床の間コレクション」を紹介。
私の幼いときの遊び道具。(えっ、子供が骨董趣味? オモチャは買うてくれんかったんや ・・・)
「法衣を着て数珠をもつタヌキ」 昔、両開きの本棚の上の守り神のようだった ・・・
「カニのすずり」の置物。 唐木の台にのっかっています。 可愛いね ・・・
毎年恒例で9月23日(祝)、「五個荘のまちなみ保存地区の公開イベント」が、東近江市主催で開催されます。
どうぞ、ご家族、お友達と、一緒にお越しやす!!
長々とご覧いただき、ほんまにおーきに!