2014年5月7日 (水)
私の選んだ人間国宝(伝統工芸品)15選
先般、人間国宝展が開催され拝観しました。
その中で、特に共感した作品を15点、ブログで紹介します。
金彩銀壺「山背」 増田三男(1909-2009)
山を越えてくる強風(山背)に、鹿、ウサギなどを毛彫りと鍍金で表現して、地を魚々子彫(お魚の卵のブツブツの柄です)です。
銀製とは思えないぬくもりがありますね。
六合花籠(りくごうはなかご) 前田竹房斎(2代目)(1917-2003)
竹の伝統工芸の地、大阪堺市で制作し続けました。
私は、有馬(兵庫県)の籠のファンで、優品がありますよね。
ちりめん友禅訪問着 上野為二(1901-1960年)
群鶏の躍動感と天井部の梅と竹が調和しています。
本年2月、弊社が伊勢神宮に奉納した几帳は、上野為二の孫さんが描く群鶏(天照大神の使い)でした。
線彫魚紋抱瓶 金城次郎(1912-2004)
抱瓶(だちびん)とは、沖縄特有の酒瓶の一種 野趣に溢れていますね。
私は金城次郎の大ファンで、抱瓶(ウエストポーチのような酒ビン)や花瓶は大好きです。
虹彩金襴手 富貴長飾壺 加藤土師萌(1900-1968)
黄地に、紅彩の深みある紅、金襴手で描き、中国陶磁を見事に表現
私は、赤絵や金襴手をよく見ますが、かように美しく多種な技法を結合した作品は見たことがありません。
備前壺 藤原雄(1932-2001)
藤原啓、藤原雄と続く親子2代の備前焼の人間国宝。 師弟=親子関係の葛藤は有名
私は、藤原雄さんの長男である藤原和さんの工房を訪ねて感動しました。
色絵金銀彩 しだ模様八角飾箱 富本憲吉(1986-1963)
羊歯(しだ)模様を、赤絵を下地に金と銀の菱型に独自でデザイン
富本憲吉氏は、奈良の大地主の息子で、東京美大卒後、バーナードリーチに出会い、民芸運動に投じる。
人間国宝の初年度の認定者 古典を学びながら、苦闘の末、独自の境地を開きました。
色絵吹き重ね草花紋鉢 今泉今右衛門(13代) (1926-2001)
色鍋島の宗家 吹き墨技法で新境地を開く
私は、今右衛門の工房を訪ね感動。13代目の次男が14代を名乗り、伝統技法の中にモダンな絵柄を追及し共感。
濁し手つつじ草花地紋ふた物 酒井田柿右衛門(14代) (1934-2013)
有田焼の中で400年間続く宗家。 つつじは14代の得意なデザイン。
私は14代目のファンの一人で、彼は代々の伝統と革新の中で苦闘し、その実直な人柄と美しい作風に惹かれます。
昨年6月に14代目は逝去され、JR九州の「ななつ星」の洗面鉢が遺作になりました。
本年2月に長男の浩さんが15代目を襲名され、重責を担っていかれます。頑張れ!
鉄釉あやめ紋大皿 田村耕一 (1918-1987)
富本憲吉の弟子。 素焼きに褐色の釉で焼き、蝋であやめ紋様をかき鉄釉をかけて焼くとあやめが抜き出てくる。
私は田村氏のことはよく知りませんが、なんとも素朴な味わいのある鉄釉の大皿ですね。
友禅訪問着 百花斉放 羽田登喜男(1911-2008)
有名な鴛鴦(おしどり)の図柄、なんともおおらかな繊細な図柄でしょう・・・
私は若い時に羽田登先生(登喜男さんの長男)に染織を教わりました。
羽田3代(登さんの娘さんの登喜・・)の友禅ファミリーはすごいですねぇ・・
赤とんぼ蒔絵箱 松田権六(1896-1986)
「うるしの神様」とたたえられた作家。
若い頃、大型客船の室内装飾を経験し、漆箱の素地に柾目(まさめ)の桐の表面に熱処理(表面炭化しさらに熱加工)して、あとの収縮(ひび割れ)を防ぎました。
漆の弱点を克服する姿勢はすごい、さすが神様です。
青白磁彫文鉢 井上萬二(1929-)
12代酒井田柿右衛門のもとで轆轤師(ろくろし)として修行。
白磁(高温)に彫文をして青磁(中温)をかけて融合する。
私は、そのフォルム(造形)の究極の美しさと青白磁のセンスのいい技術に惚れています。
紬織きもの 湖北残雪 志村ふくみ(1924-)
滋賀県生まれの志村さん。蚕の命を頂いて、植物染料で染めて、すべて自分の手で織り上げ制作している。
琵琶湖を愛し、自然と一体化して紬を作っていく・・
全国に彼女のファン、共感する人は多いですね。
けやき造り方盛り器 川北良造 (1934-)
石川県の山中温泉の出身で、山中塗りの木地師の家に生まれる。
「うるしの神様」松田権六より、ひろい視野から漆芸の何たるかを教えられた。
私の大好きだった多田桂寛さん(漆作家 山中温泉)と川北良造さんは幼馴染で、多田桂寛さんから彼の天才ぶりをよく聞かされました。
川北良造のけやきの作品は神が宿っているように見えました。
後記
さすがに人間国宝の作品は優雅で完成度が高いですね。
汐留ミュージアムで、名工に憧れた松下幸之助が伝統工芸士の作品を買い上げ展示をしていました。
幸之助氏が見込んだ作家は後年に人間国宝になっているケースが多いのです。
幸之助氏の「人物と技術を見る眼」の確かさに驚嘆した思い出があります。