2014年8月19日 (火)
みちのくの平泉 中尊寺の訪問記
仙台にマンション(10階建)の工事が進み、8月11日(月)に棟上げ式に行きました。
折からの台風で、前日の日曜日から東北に入る羽目になり、せっかくの休日、岩手県の平泉へ足を延ばしました。
仙台空港でお馴染みの武藤順九さんの大理石の彫刻作品
順九さんは宮城県出身で、仙台の藤崎百貨店の社長室の前にも作品がありました。
「はやて」に乗って一ノ関に向かう
雨の蝉しぐれの中、月見坂を通って藤原三代の栄華 中尊寺を訪ねました。
中尊寺は850年に慈覚大師円仁(天台宗第三代座主)により開かれ、12世紀の初めに奥羽・藤原清衡(きよひら)により建立されました。
彼は、この地に仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を築こうとしたのです。
中尊寺ハス 藤原泰衡(やすひら 4代目)の首桶からハスの実が発見され1950年に発芽しました。
中尊寺の讃衡蔵です。
文字通り、清衡、基衡、秀衡、泰衡を讃えるための宝物庫です。
正面には、丈六仏(重文)が安置されています。
左から薬師如来、中央が阿弥陀如来、右が薬師如来で平安時代後期の作品です。
(撮影禁止でパンフレットより)
金字の宝塔をかたどった曼荼羅(国宝)
宝塔の輪郭は、すべて漢字で経文が書き写されています。
弁財天堂
経蔵 (重文)
金色堂の新覆堂です。(黄金の金色堂を保護のため覆っている建物)
これは、国宝建造物第1号の「金色堂」の内陣です。
中央が阿弥陀如来、左が勢至菩薩、右が観音菩薩
この中央の須弥壇に、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の遺体と四代泰衡の首級が安置。
血筋の明らかな親子四代の遺体の存在は、世界でも例を見ないそうです。
白山神社能舞台
ここで、有名な薪能(たきぎのう)が篝火(かがりび)の中、奉納されるそうです。
松尾芭蕉と奥の細道碑
「夏草や つわものどもが夢の跡」
元禄(1700年頃)に、松尾芭蕉は、藤原三代の栄華と、源頼朝が弟・義経を追討して自害させた平泉で多くの俳句を詠んでいます。
本堂
天台宗の別格の東北大本山で、山内に17の塔頭・小院を有します。
台風の中の中尊寺を歩き、思いを源平の世に馳せました。
清衡が49歳(1105年)で平泉に中尊寺を完成させ(72歳逝去)、基衡は毛通寺を造営(1117年)し、秀衡は61歳の時に源義経をかばい2年後に逝去、その翌々年後に、泰衡は鎌倉の頼朝の圧力に屈して義経を裏切って殺害、自分も頼朝に攻められ部下にも裏切られ落命(1189年 34歳)・・・藤原の栄華はあっけない最期でした・・・
あと、仙台の近郊、秋保温泉の名旅館「佐勘」で1泊しました。
秋保温泉は1000年前、欽明天皇から御湯(みゆ)という称号を賜った歴史があります。
仙台藩の伊達正宗から湯守の役に仰せつかった佐藤勘三郎が、「佐勘」の礎を作りました。
伊達正宗は、秀吉よりも30歳も若く、血気にはやり奥羽を制覇しますが、正宗23歳とき秀吉の北条攻めで天下の趨勢を悟り、伊達正宗は秀吉に恭順し69歳まで生き延びて奥羽の虎として勢力を保ち続けました。
正宗の決断は、藤原四代の悲劇から、多くを学んだのですかねえ・・・
佐勘には、不滅の灯明から暖炉に火がともされ続けている。
34代目 当主の佐藤勘三郎さんの書
佐勘では、代々の当主は「佐藤勘三郎」を名乗り、女性当主も同名を通すので、名刺をもらった人は仰天するそうです。
そういえば、小生も喜左衛門を36歳で襲名したとき、「塚本喜左衛門」ってどんなジジイかと思われ、私の童顔を見て怪訝そうな顔をされましたねえ・・
後記
藤原3代は讃えられ、4代目の泰衡は義経を裏切り頼朝の謀略にはまり藤原の栄華を滅ぼしてしまいます。泰衡は肉親同士の殺戮の暗い過去もあり、後世から罵詈雑言をあびせられています。
みちのくの藤原4代と仙台の伊達正宗・・・・歴史と人生を重なり合わせて、考える事の多いみちのく旅行でした。
藤原の栄華と悲劇は、いまではユネスコ世界遺産になっています。