2014年10月27日 (月)
素晴らしかった中国の古都 洛陽
10月19日(日)、中国で「三方よし」出前講座の前日、中国の主催者(孔会長)の格別のご配慮で、洛陽にご案内をして頂き、まさしく感動の一日でした。
河南省の省都・鄭州より車で二時間、洛陽があります。
洛陽は、漢、魏、隋、唐、などで都、またはいつの時代も副首都として栄えました。
日本でも平安王朝の頃、京都を「洛陽」と雅号で呼び、上洛、洛中、洛外・・と、いまだに称せられることが多いようです。
◆ まず、中国一古い仏教寺院の洛陽の白馬寺に行きました。
白馬寺は、西暦68年創建の中国仏教発祥の古刹(こさつ)として崇敬を集めています。
後の世の玄奘三蔵(602年生まれ)も、インドの経典の収集と翻訳で有名ですね。
いくつもの建物が続き広大なお寺です。
仏教を信仰する人が多く、大きな線香を供える人が後を絶ちません、
老若男女すべては仏像の前で膝まづき、深々と三礼してお参りをします。
中国は仏教国だと今更ながらに実感しました。
奈良の唐招提寺に祀られている鑑真和尚も18羅漢の一人として祀られていました。
洛陽のシンボルは牡丹(ぼたん)の花です。
広大な牡丹園です。(下は、牡丹の満開の写真)
四天王が守護します。(日本と同じです)
色、表情が中国的で迫力があります。
インドから仏経典を持ち込んだインドの学僧
白馬寺が中国仏教の八宗をここから発しました。
日本の各宗派の漢字の経典は、まずは白馬寺で作られたのです。
筆頭が浄土宗の「仏説無量寿経}です。(上記の写真)
つまり、インドのサンスクリット語を中国語に翻訳し、漢字の経典として、漢字文明圏に布教したのです。
日本では、「仏説無量寿経」は今も浄土宗や浄土真宗で読経をされていますね。
中国の政治家・世界の要人も白馬寺に詣でています。
江沢民国家主席の写真
白馬寺の山門の前で、記念撮影
左から蔡夫妻、小生夫妻、李さんです。
世界中の仏教寺院が寄進した巨大な仏教ビレッジ(?)
「中国仏教の発祥の地」ならでは光景です。
◆ 昼食に洛陽の名物・水席で有名な「真不同」(中華レストラン)
牡丹を頭に飾ったメイドさん
料理の説明は、漢詩を朗吟するように歌うような名調子です。
素晴らしい水席料理
宴会の最中に皇帝の高官が「聖旨」を朗読し我々を祝福してくれます。
◆ 次は、ユネスコ世界遺産の「龍門石窟」を見学しました。
滔々と流れる伊河の両岸に石窟があります。
中国には三大石窟があり、洛陽の龍門石窟、敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟です。
巨大な岩に延々と仏像が彫られています。
北魏(494-520年)に頃より彫られ、最初は西方風だった彫刻が中国風に作風が変わっていきます。
入口の仁王さんと、彩色が残る阿弥陀仏です。
最大の廬舎那仏の石窟へと続きます。
巨大な仏像群です。
仏像は、時代と共に自然劣化もありますが、英国や日本が仏頭を自国に持ち帰ったり(大英博物館、大阪市立美術館ほか多数展示)、中国の文化大革命の折、手近な仏像の多くのお顔が破壊(廃仏棄釈)されたりして、龍門石窟の歴史的な破損は痛々しい限りです。
それでも、心ある中国の仏教徒、文化財愛護者により、素晴らしい形で保護されています。
伊河の西岸の石窟群と東岸から見た龍門石窟の一部
あと、東岸の香山寺に登り、参拝しました。
寺のお隣の白居易の記念公園の墓に詣でました。
やはり、中国でも漢詩の人気のベスト3は、杜甫、李白、白居易だそうです。
後記
日本文化の源流(漢字、仏教、東洋的教養)は、漢字文化圏の本山の中国に行きつきます。
戦前の日本のリベラルアーツ(基礎的な教養)は漢籍(中国の書籍)を修めることであり、その後の敗戦で洋学がその中心になりました。
我々の団塊の世代は、丁度その中間期で、両方とも大事に理解をしようとします。
日本と中国は同じ文化を共有する友として、いつまでも仲良くしたいものですね。