2015年5月11日 (月)
生命あふれる奇跡の島。世界遺産の屋久島
今年の1月に続いて、5月のゴールデンウィークに屋久島に行きました。
屋久島は花崗岩が切り立った円錐形の円形の島(人口1万人)。気候帯・植生が垂直分布しています。
つまり、最高峰「宮之浦岳」(標高1936m、九州で一番高い山)は寒帯、「縄文杉」(1300m)あたりは亜寒帯、海岸べりは亜熱帯でガジュマロなどが生い茂っています。
今回は、標高600~1000mの「もののけ姫」で有名な苔むす森へ家内とチャレンジしました。
小さな双発プロペラ機で、屋久島空港に到着しました。
ホテルのモニュメントが迎えてくれます。
先ずは、「屋久杉自然館」で学びました。
今回のテーマは、「岩盤の屋久島になぜ巨木が育ち、屋久杉は五千年もなぜ生きられるのか?」です。
巨大な土埋木(どまいぼく)です。
江戸時代に伐採された屋久杉の切り株(土埋木)は天然の樹脂で守られ、工芸材料に掘り出されます。
島津藩が年貢の代わりに屋久島の杉を切り出し、高級な平木(木製の瓦)として運びだしました。
伐採すると、杉が密集した暗い森に太陽光が差し込み、「切り株更新」で新陳代謝が進みます。
明治以降の伐採は斧からのこぎりに変わり、戦後はチェーンソーが活躍し、屋久杉の伐採が急激に進みました。
トコッロ列車で運び出される屋久杉
杉の寿命は五百年ですが、樹齢千年以上を「屋久杉」としそれ未満を「小杉」とよびます。
ホテルで販売していた屋久杉の置物です。(高さ2m位)。価格は300万円でした(@_@;)
いよいよ白谷雲水峡へ出発です。
巨大な花崗岩がむき出しで屋久島の岩盤が見えます。
この岩盤の貧しい土壌こそが杉の成長を遅らせ、年輪が緻密で樹脂の多い屋久杉となりました。
すぐに苔むした自然にぶつかります。
高温多雨の気候が苔やシダの宝庫となり、苔が岩盤に保湿効果を与え、多くの樹木が育つ原因になりました。
「マムシ草」(上)
屋久杉の赤ちゃんです。可愛い!!
ヒメシャラ(沙羅)の木や、ヤマグルマがドンドン伸び、屋久杉にからみつくように成長します。
着生(ちゃくせい)といい、親木に寄生することなく、多くの植物が杉の幹の上に同居しています。
屋久杉の切り株から次の世代の杉が育ち、昔の切り株が枯れると、樹木の根元が空洞になります。
江戸時代の切り株は地上5-6mにありますが、昔は高い足場を掛けて屋久杉を切り倒しました。
切り口から次の枝までのまっすぐな7-8mの幹を平木(木製瓦)の材料として利用しました。
残材は倒木のまま放置しましたので、巨大な切り株と苔むした倒木は屋久島の複雑で異形な光景を作りました。
雨の中、弁当タイムです。屋久島は1か月の内、35日間、雨が降ると言われます。
我々の装束は、レインウエアの完全装備です。
「三本足杉」です。
巨木にとっての大敵は勿論、バクテリア(菌)で、すべてを土にもどす作用があります。
屋久杉は大量の樹脂で自分自身を菌から防護して、なんと数千年間を生き延びました。
苔むす森・・「もののけ姫」の舞台になったところです。
屋久島は生命の息吹を感じます。
誰だ、こんなオシャレなイタズラをする人は??
下り道、赤土が沢山、露出しています。
今から7300年前に、近くの海底火山が大爆発を起こし、火砕流が屋久島の最高峰の宮之浦岳(1936m)まで覆いつくし、南九州一帯の大被害をもたらしたそうです。
この地域の先進的な縄文人の文化はこの大噴火で滅んだそうです。
屋久島は花崗岩だけの岩盤ですが、カルシウムに富んだ表土(火砕流)のおかげで、屋久杉の巨木や多くの植物がよく育ったのでしょうね。
トレッキングに8時間かけて、スタート地まで戻り記念撮影です。
翌日の南太平洋に浮かぶ日の出です。
極楽草が咲き、ポインセチアが群生しています。
「トローキの滝」に寄りました。「轟(とどろき)の滝」がなまってトローキというそうです。
◆◆屋久杉の伐採は「罪悪」でしょうか?◆◆
江戸時代、島津藩の酷税により屋久杉の伐採が進み、とりわけ、昭和20年代、30年代は林野庁の貴重な財源として屋久杉をチェーンソーでなぎ倒しました。
当時は、人間が生きていくのに精一杯だったでしょうね。
しかし、この伐採のおかげで、太古の森は新陳代謝でよみがえり、切り株と倒木が織りなす屋久島の不思議な異形の風景を生み出しました。
また、樹齢数千年の屋久杉は、雷や枝が枯れたりして良材とは言い難い異形な杉として伐採から逃れました。
かように人間が自然と関わった奇跡的な結果が、世界自然遺産・屋久島となりました。
わずか7300年前に火砕流が押し寄せ、島の生命体が全滅して、そこから屋久島は再生し、「縄文杉」(樹齢六千年)のような屋久杉も育ったのです。
人間の業の深さと、自然の偉大さを感じさせる屋久島は、正に奇跡の島でしょうね・・・