喜左衛門ブログ:President Blog

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2016年1月29日 (金)

五代ロス・・・そして大阪に再び現る!

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NHKの朝ドラ「あさが来た」は、京都の豪商のむすめ「白岡あさ」(波瑠)の物語。    
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本名、広岡浅子(1849-1919年)の71年間の人生は、幕末~明治~大正の怒涛の時代を生き抜いた日本の産業人として明治の女性として素晴らしい生き様ですね。    
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苦境の浅子に助言を与え、商都大阪を救った恩人、五代友厚・・    
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ディーン・フジオカの演じる「五代さま」こと五代友厚が先週、突如、番組から姿を消し、ファンからNHKに抗議が殺到し、”五代ロス”という新語が生まれました。    
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◆「東の渋沢栄一、西の五代」と称された五代友厚(1835‐1885年)、51年間の彼の人生追ってみましょう。     
1835年に薩摩藩町奉行の次男として生まれました。
31歳(1866年)で欧州に薩摩藩から留学し紡績機などを購入して薩摩藩の殖産振興に努めます。

1871年に大阪造幣寮(現・造幣局)を設立 1878年に大阪株式取引所(現・証券取引所)を設立。
大証には彼の銅像がそびえたちます。    
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1878年に大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)の初代会頭に就任    
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彼は、製鉄、貿易、銀行、鉄道会社の設立など、幅広い分野で活躍しました。
1880年に大阪商業講習所(旧・大阪商科大学、現・大阪市立大学)を設立 。  
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昔から、商・法・経・文の学部から多くの人材を産業界に輩出し、戦後に理・工・医・生の学部が設立し、
理学部から助手の南部陽一郎さん、医学部の大学院出身の山中伸弥さん(IPS細胞)がそれぞれノーベル賞をとられました。

五代の住居は、1871年に靭(うつぼ)、1885年に中之島(現・日本銀行大阪支店)にありました。    
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1885年(明治18年)に51歳で病没し、翌年、大阪市南霊園(阿部野墓地)の中央に五代の墓碑はランドマークのようにそびえています。    
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◆ 五代友厚公、生誕130周年の記念事業として、小生の母校である大阪市立大学のキャ ンパスに五代の銅像を作る運びになりました。
全学同窓会の児玉会長(前々学長)を委員長として、有恒会、商友会(岡本直之会長)、経友会(経済学部同窓会、小生は会長)などが委員となり昨年から募金を集めました。    
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市大の並木通りと本館の風景    
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本館のキャンパスの法学部棟、文学部棟あたりに五代スクエアを作ろうということになりました。    
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木々を伐採して整地しました。    
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完成予想図です。(大西基勝委員(S52商卒)の撮影)    
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今春の3月19日(土)に除幕式の予定で、関係者一同は首を長くしています。

後記
世の中のめぐりあわせは不思議で今頃に突如、五代フィーバーが起こるとは夢にも思いませんでした。
大阪の恩人の五代さんも喜んでおられるでしょう。
五代友厚公は、未来への産業創生を取り組み、グローバルな視野、社会システムの構築への高い志など、現代の我々にとって、学びの多い偉人です。
我々も五代公に見習い頑張りましょうヽ(^。^)ノ