喜左衛門ブログ:President Blog

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2017年1月5日 (木)

お正月に東福寺を参拝し、方丈庭園(重森三玲)を鑑賞しました。

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京都五山の一角、臨済宗(禅宗)の東福寺にお正月に参拝しました。

1236年(鎌倉時代)、関白の藤原家(九條家)が、東大寺と興福寺の「東」と「福」の二文字をとり

「東福寺」と名付け、京の都の最大の大伽藍を建立しました。
三門(国宝)をくぐると、本殿(仏殿)です。
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1月1-3日に「修正会」(しゅしょうえ)が執り行われ、国家泰平、五穀豊穣、仏法興隆を祈願されます。
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読経の最中に裂ぱくの喝が入り、迫力満点ですね。

方丈の唐門です。
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方丈の庫裏(くり、お寺の台所)
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◆方丈の南庭。広さ210坪の枯山水庭園。方丈のメーンの庭園です。
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方丈の仏間の読経風景
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広大な方丈の4つの庭(南西北東)は、昭和14年に重森三玲(1896-1975年)が作庭しました。
鎌倉時代の質実剛健な風格を持つ方丈にふさわしい庭園であり、現代芸術の抽象的構成をとり、近代的禅宗庭園の白眉として、世界各国に紹介されています。

◆西庭
さつきの刈り込みと砂地と葛(かずら)石で四角に区切り、古代中国の井田(せいでん)に因み「井田市松」と呼ばれています。
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北に通天橋を臨む・・
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本殿から谷を越え祖師堂(円爾が祀られる)に向かって架かる長大な通天橋です。

◆北庭
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ウマ杉苔の緑と敷石が市松模様
この周囲のサツキの丸刈りのコントラストの調和も印象深い。
重森三玲と親交のあったイサムノグチ(彫刻家)は、「モンドリアンの新しい角度の庭」と称した。

◆東庭
白川沙の雲紋様に掃き清められた地面の上に北斗七星を構成して、「北斗の庭」をよばれます。
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この石柱は、もと東司(重文・旧便所)の柱石の余石を利用しました。
禅宗の少しも無駄にしない精神をあらわす。
後方には天の川を表した生垣が配されています。
夜空が足元に広がる小宇宙を創り出しています。
昭和の初期に「究極のモダン」を追求した重森三玲の真骨頂ですね。
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いつ拝観しても心が洗われます・・・
この庭園は、天才・重森三玲の43歳の時の作品です。

・・・重森三玲旧宅と招喜庵・・・
三玲は47歳(昭和18年、戦時中)に、有名な吉田神社の社家(神主)の広大な屋敷(築300年)を譲り受け、ここを終生の棲みかとします。
この屋敷の原型(古典)を大事しながら、三玲好みに大改造し、精魂込めて石庭を作ったのが、現在の「重森三玲旧宅」です。
昭和の天才作庭家の重森三玲は、この自邸と妻をこよなく愛したことで有名です。
この丹精込めた庭園と書院・茶室(文化財)を「重森三玲庭園美術館」として重森三明(三玲の孫)館長が所有・管理し、一方、大きな主屋を「招喜庵」として小生が引き受けて大修理して保全しました。

全体を重森三玲旧宅として重森・塚本の両家がコラボして管理・運営し10年になります。
小生は重森家と40年以上のご厚誼を頂き、この貴重な庭園と屋敷の存続の一助となったことは望外の幸せなことです。

後記
お正月に家族皆で家内の実家へ行き、恒例のおせち料理をごちそうになりました。
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家内の兄嫁は料理の天才で、手間のかかったおせち料理を一人で沢山作ります。
写真では向こうがかすむほどの料理で、これが実に美味しいのです。(^O^)
総勢18名が、手作りのおせち料理を満喫しました。ヽ(^。^)ノ