2017年2月7日 (火)
丹後の機場(はたば)巡り
京都府の最北端の丹後半島に来ました。
間人(たいざ)カニで有名な日本海に面した「丹後の国」です。
京都市から車で2時間余り、電車だと3時間はかかります。
京都は1200年の歴史の都ですが、丹後は2000年の神話の国です。
元伊勢(もといせ)の神社が沢山あり、神々が丹後から伊勢神宮に進まれた道のりがよく判ります。
中国・朝鮮から、様々な文明が日本へ入って来た表玄関が日本海側(丹後)です。
日清、日露戦争でも主戦場は日本海海戦であり、海軍の司令官は舞鶴港(京都府)にあり、
明治時代に東郷平八郎元帥はここに駐屯し連合艦隊を引きいて日本海海戦を大勝利に導きました。
さて、今日は丹後への出張です。
まず、「丹後の職人」の栄を受けられた松見樹憲さんを訪問しました。
丹後織物工業組合の認定制度で、名工を表彰しその高い技術を後世に伝える事が目的です。
喜びの松見さんです。
いま、モネのスイレンを織っています。
紋図と貫糸(横糸)のシャトルです。
1800口ジャガードで経糸(縦糸)を操り、貫糸(横糸)をシャトル(杼、ひ)で貫いていきます。
多色使いで杼の種類を変えて織っていくので、松見さんのシャトルは200本くらいあります。
塚喜商事㈱あさぎ事業部は、1800口の織機を所有して機屋(はたや)さんに提供し、ジャガードの紋図の考案・制作し、糸や純金の箔を機屋さんへ渡して、機屋さんは永年のキャリアで高い技術を駆使して織り上げます。
1800口ジャガードは巨大で高さは2階建ての家くらいあります。
管巻き(くだまき)機械がまわっています。
機屋言葉から、「管を巻く」(くだをまく)・・・同じことを繰り返して言う様
「シャトルバス」・・・機のシャトル(杼)のように同じコースを繰り返し巡回する
・・など、多くの言葉があります。
機の前で・・大江さん(上)、鍋島さん(中)、能勢さんご夫妻(下)
ダイレクトジャガードのピストンの更新、綜絖の交換などが概ね終了し、次は、ジャガードのコントローラーの近代化、筬(おさ)の交換をする必要があります。
塚喜商事㈱次々と機(はた)の設備の更新を進めています。
しかし、部品屋さんなどの廃業があり、伝統産業を取り巻く厳しさはひしひしと迫ります。
田中梅男さん宅で京都新聞を見せられました。
先月末の「西陣織展」の西陣品評会の記事に大きくあさぎの丸帯と受賞が掲載されており皆で大喜びしました。
夜は、20人位で懇親会です。
まずは、表彰式
「西陣織美術工芸あさぎ」の日本画格天井図の丸帯が受賞しました。
中小企業庁の長官賞で、機屋さんの関係各位に披露しました。
機屋の皆さんは、興味深けに熱心に手に取って丸帯を確かめていました。
京都のメーンストリート烏丸通りに面してツカキスクエア京都の正面玄関の上に飾られるあさぎ特製の尾形光琳の紅白梅図(国宝)の3メーター四方の巨大なタぺストリー
この大作を製作した能勢義男ご夫妻へ感謝状が授与されました。
「丹後の職人」の輝かしい称号を得られた松見さんへ表敬状が授与されました。
(このブログの冒頭に掲載)
丹後の機を地元で面倒見てもらっている木本さんの社長と息子さん
木本さんは、永年の丹後でのご苦労と仁徳で機屋さんを仲良くまとめられ、本当にお世話になっています。
福引大会で商品を手にして・・
澤さん、藤田さん、小森さん、浜岡さん、大江さん、小石原さん
ベテランさんを中心に若手が育っていますが、さらに次の後継者の確保が課題ですね。
酒を酌み交わし懇親を深め、夜が更けていきました。
雪深い丹後の地で、織り手の皆さんの血のにじむ努力で西陣の伝統が守られています。
西陣の職人さん(デザイン、紋図)、ブラジルのブラタク社の世界最高水準の生糸、日本製の生糸・金糸・箔、そして丹後の機屋さんの熟練の名工のおかげで、世界に誇る西陣織が完成していきます。
塚喜商事㈱あさぎ事業部を取り巻く製販一体のチームワークが素晴らしい名品を生み、呉服店様、百貨店様で販売されて成長進化を続けています。
ご教示、ご鞭撻のほどお願いします<(_ _)>
後記
誕生日の孫(小2男児)と妹(5歳の女児)を連れて3人で高島屋にプレゼントをお買いもの。
3人でワアワア言いながらの楽しいひとときでした。
孫(幸喜)は大の和食党で誕生ケーキも”和菓子”でいうことでかようになりました。
実にユニークというか庶民的というか、御座候の回転焼きまであります。
盛り上がったお誕生会でした。