2017年5月2日 (火)
天下分け目の合戦、"天王山"に登ってきました\(^O^)/
ここは天王山の登り口。先週の祝日に登頂しました。
京都府の大山崎町(JR山崎駅;東海道本線;京都府と大阪府の境目)より登山口まで徒歩5分。
この山崎駅前に妙喜庵(千利休の待庵(茶室);国宝)や離宮八幡宮(九州から美濃までの油座(専売権)を有する)があります。美濃の斎藤道三(織田信長の嫁の父)もここの一員(油屋)でした。
登ってすぐに山崎聖天[観音寺]さんがあります。
境内に藤の棚があり満開でした。
すぐに宝積寺(通称、宝寺)があります。仁王門に立派な金剛力士像があります。
実は宝積寺さんは、生々居(拙宅)のお隣さんです。
宝寺の三重塔、秀吉の「一夜の塔」と言われています。(重文)
この本堂の脇道から登山道になっています。
三川合流(桂川、宇治川、木津川)し淀川になる雄大な光景です。
話は・・戦国時代、天正10年(1582年)6月2日早朝に本能寺の変が起こります。
明智光秀が、主君・織田信長を討ったのです。
慌てて中国(岡山県)から戻る豊臣秀吉(「秀吉の道」が陶板で山中に展示しています)
この山崎の地、天王山に到着したのが6月10日。
なんと8日間で、毛利の和睦、戦地空の引き揚げ、姫路で再装備、尼崎を経て天王山へ駆け付けました。
旗立松・・ここに秀吉の旗を立てて士気を鼓舞したそうです。(7代目の松だそうです)
「山崎合戦の地」の石碑と陣形
酒解神社の二の鳥居
天正10年6月13日午後4時に合戦が始まりました。
攻める豊臣秀吉軍
合戦開始し2時間半、勝敗の趨勢が明らかになり明智光秀を後に敗走する明智軍
明智軍1万2000人も700名へ減り、落ちのびる明智光秀。
山科の小栗栖の竹藪で落ち武者狩りの手にかかり明智光秀は落命
秀吉の天下取りへの道は続く・・
酒解神社の三社
白玉手祭来酒解神社の本殿
10世紀に書かれた延喜式にも登場する古社で、本殿の前の神輿庫(みこしぐら)は日本最古の板倉造で重要文化財
十七烈士の墓
幕末の「禁門の変」の折に、天王山で自刃した尊王攘夷の志士の墓
ここ天王山は古代から戦国時代、近世に至るまで多くの古戦場のある要衝です。
いよいよ天王山の山頂(標高270メーター)
秀吉が築いた天王山城の城跡
豊臣秀吉の天下は治まりました。
下山するとやがて大山崎のエリアに戻ります。
大山崎山荘の入口のトンネルです。
すぐに、生々居です。(拙宅の山小屋)
歩いて1分間で大山崎山荘(アサヒビール美術館)です。
天王山は標高の低い山ですが、久しぶりの山歩きに大汗の3時間でした。
しかし、天王山の山頂のお昼のおにぎりは格別に美味かったヽ(^。^)ノ
後記
我が家のべスです。
いつもご機嫌で元気いっぱいに庭で遊んでいます(^O^)