2017年6月26日 (月)
西陣・「千両ケ辻」の散策と文化財保護
先週の日曜日、登文会(京都登録文化財の会)の研修と年次総会がありました。
西陣織会館に30人程が集合し西陣の研修ツアーへ出発です。
山名宗全の碑です。ここで、応仁の乱(1467‐77年)の時、東西に対峙し陣を張りました。
ここは、西に陣を構えた山名氏の居宅がありました。(「西陣550年発祥」のいわれ)
※京都の内緒話に、「おたくは戦前からのご創業ですか?」・・との問いかけがあります。
応仁の乱で京都の町中が戦場となり、その被害は甚大で、戦前・戦後の区別は正に「応仁の乱」なのです。
もうひとつの問い・・「前(さき)の戦災はいかがでしたか?」・・との微妙な質問
これは、禁門の変(=京都御所の「はまぐり御門の変」、1864年)で、長州が幕府・薩摩連合軍に敗れその戦火は京都市内の及び、大災害をもたらしました。
・・私の返答は「へぇ幸い弊社は歴史はわずか150年しかなく、勿論、戦後派でして、前の戦火も弊店の誕生前でおました。新米の店ですんまへん。<(_ _)>」
昔から、呉服業界では、上(かみ;上京区の西陣)は日蓮宗が多く、下(しも;下京区の室町)は浄土真宗(東・西本願寺、仏光寺)が多いと言われています。
妙蓮寺さんです。(日蓮宗)
江戸時代の初期、石川県七尾市出身の熱心な日蓮宗の信者である長谷川等伯は多くの作品を妙蓮寺に残しました。
(上)鉾杉の図、(下)松桜の図
当時、狩野永徳と長谷川等伯は覇を競い合い、豪壮な襖絵(ふすまえ)は目を見張るものがあります。
さらに歩いて、櫟谷〈いちいだに〉七野春日神社へ
894年創建で、葵祭の斎王行列 はここから始まっています。
駒井さん(白いきものの女性、冨田屋さん所属)が丁寧に説明
千本えんま堂の閻魔さんを拝観へ
「お精霊迎え」の梵鐘(南北朝の1379年制作)で有名ですね。
怖い閻魔大王を真ん中にして、右に司命尊、左に司録尊が祀られています。
えんま堂・庵主の尼僧は90歳、しかし、頭脳明晰、実にその説法は迫力と説得力がありました。
平安京の終て(はて)であるこの地は遺体を棄てる場所であり、娑婆(しゃば;現世)と地獄の境目でした。
この閻魔さんは人間界を慈しみ、悪い人間には苦しみを与え、善い人間界になるように心を痛められたそうです。
紫式部の供養塔(1386年建立、重要文化財)
紫式部は才能にあふれ不遇な生涯で終えましたが、ここに弔っています。
西陣は色々な職人さんの露地(ろうじ)があり、昔ながらの長屋の風情があります。
ここは、「帯の国領」さんのお店
是非、立ち寄りたいが皆と一緒なので遠慮しました。残念(>_<)
いよいよ千両が辻です。
弊社の取引先の木村卯兵衛さんや、仲直商事(糸屋さん)など、老舗が立ち並びます。
いよいよ冨田屋(とんだや)さんです。
ここで、登文会(京都・国登録文化財の会)の年次総会がありました。
小生は昨年末から会長を拝命しており、新米議長です。
司会は橋本眞次副会長(橋本関雪美術館)、右は、田中峰子副会長(冨田屋13代目女将)
京都府・市の文化財保護課の方々がご臨席、各地からの出席者です。
松本酒造(日の出盛、桃の滴)の社長ご夫妻もご出席
総会の議案(決算、新年度の方針と予算、文化庁への申請)などが審議されました。
愛知登文会の小栗会長より発言
文化財の建物の減税だけでなく、土地の減税(固定資産税、相続税)を文化庁へ陳情しようとの案件です。財務省のカテゴリーの問題ですが・・・
冨田屋さんの豪壮な京町家のご案内
塗りの文庫蔵、珍しい貴重な建物です。(明治18年の建築だそうです)
坪庭6つ、蔵3つ・・大きな京町家で風格があります。
座敷は能舞台になっており、夏の風情になっています。(駒井さんよりご説明)
素晴らしいひとときでした。
いよいよ懇親会です。
冨田屋さんのお手製の京のお料理でお手間(愛情)がたっぷり掛かり、絶品のお味でした。
春慶塗の貴重な器のお料理です。
日本酒、ワイン(愛知県半田市の小栗家の特製の白バラ酵母の「愛してる」)、焼酎の逸品など高級酒の大判振る舞いで、参加者一同、富田屋女将の田中峰子さんのおもてなしに大感謝!!
酔っぱらって冨田屋さんを後にしました。
峰子さん、本当にありがとうございました。\(^O^)/