2019年1月21日 (月)
禅宗(曹洞宗)の大本山、永平寺に参りました。
先週の成人の日(14日)の連休に福井にある永平寺へ家内と一緒に参りました。
永平寺の若い修行僧は午前4時半に起床し午前6時から「朝課」と呼ばれる勤行をします。
(今年の1月12日(土)の日経新聞より・・・)
巨大な木魚を地響きのように叩き、一糸乱れぬ凛としたお経の声が堂内に響き渡ります。
永平寺は若い修行僧(雲水)が、2-300人いて厳しい修行に堪えています。
唐門に続く石段
伽藍の説明を若い修行僧がします。
これも修行の一部で精魂を込めて仏法にもとづき七堂伽藍の話をされました。
雪深い伽藍のなか、寒さに凍えながら見学しました。
山門
七堂伽藍の中で最古の1749年に建造されました。
楼上には五百羅漢が祀られ毎日、修行僧が上がりお経をあげています。
山門の聯(れん)に書かれている言葉
◆右側 【家庭厳峻 不容陸老従真門入】
かていげんしゅん、りくろうのしんもんよりいるをゆるさず
・・・解説:永平寺という家庭は、仏祖の家訓に厳しく従う。
どのような社会的地位のある人でも仏を求める心が無ければ、この門より入ることは許さない。
◆左側 【鎖鑰放閑 遮莫善財進一歩来】
さやくほうかん、さもあらばあれ、ぜんざいのいっぽをすすめきたる
・・・解説:そうであるが山門は鍵はかからず扉もない、入り口は常に解き放れている。
善財童子のような道心があればいつでも、その一歩を進めて入れるようになっている
毎年、2-4月頃、全国から100人位の修行僧が永平寺に入門を求めてやってきます。
寒い中、修行僧志願の人達が7人位のグループで山門の前で2-3時間、立ったままでこの問答がされます。
そして修行の覚悟が認められば、やっと入門が許されます。
傘松閣と絵天井の間(156畳)
昭和5年に当時の著名な画家144名の230枚の色彩画が天井に飾られています。
実は弊社の「西陣織美術工芸あさぎ」は、この天井画を西陣織で再現して販売をしています。
永平寺の伽藍は高低差150メーターもあり、修行僧はこれを素足で素早く行動します。
仏殿、ここには曹洞宗のご本尊であるお釈迦様が祀っています。
承陽殿、宗祖である道元禅師が祀られています。
承陽とは、仏法を承け伝えるという意味があります。
大庫院(食事をつくる場所)にある韋駄天(いだてん)
巨大なすりこぎ棒
曹洞宗は、食事(僧堂)、トイレ(東司)、風呂(浴室)も重要な修行とみて
僧堂は修行僧は畳1枚分で寝起きをして、文殊菩薩を中心に座禅を組み、生活をする場所です。
昨年1月、中国の寧波に行きました。
そして曹洞宗の道元禅師が修行をしたという天童禅寺に参りました。
NPO三方よし研究所の中国研修ツアーの喜左衛門ブログです。
↓
「寧波商人(にんぽう)から学ぶ旅・・その1」
https://www.tsukaki.com/kizaemon/2018/4104/
素晴らしい思い出です。
滔々と清流がほとばしる大聖寺川
永平寺のあと、山中温泉の「かよう亭」にきました。
いよいよ食事です。
かよう亭は、お部屋が10室しかなく静かで至福の時です。
この亭主の上口 昌徳さん(89歳)ご夫妻は、20年来の付き合いで本当によくして頂いています。
上口さんの大切にしている言葉、“手桶の水は押して取れ”
柄杓で水をすくう時、一回前に桶を押して帰ってきたものをすくう。
引こうとしても(一度身体から放さなければ)水はとれない。
上口さんは、教養豊かな行動派でとても魅力的な人で、いつもあやかりたいと持っているお人です(^_-)-☆
鶴仙渓は、生命の源で私は病気で入院をすると退院後、ここで静養しまた新しい命を頂きます。
素晴らしいひとときでした・・・・
後記
永平寺の修行は小生にとって憧れの時空です。
小生も早朝3時半に起床し、半時間の散歩とワンコの世話(作務)をして、午前4時から修行(仕事)に掛かります。
会社(8階建)の昇り降り、節目の勤行、仕事を終えて午後10時半に寝る・・・
偶然に永平寺の修行僧とよく似た生活パターンです。
しかし、修行僧は世のために戒律に従った厳しい集団生活おくり、生活が修行であり休日は全くありません。
私は、温かい空調の効いた場所で美味しいものを食べ温泉にもつかり・・・いけませんね(>_<)
堕落した恥ずかしい人生をおくっていると猛省しております・・・・
今日から修行僧を見習い、少しでも自戒した生活をおくります。
ありがとうございました。