2019年2月4日 (月)
大阪の道修町の文化財探検
大阪の道修町(どしょうまち)って知っていますか?
京都の弊社の社員へ質問したら、9割が無知でした。
製薬会社の人、大阪の人に質問したら100%知っていますよね。
そうです・・・日本の主要な薬品会社の発祥の地なのです。
先週、大阪、愛知、京都の「登録文化財所有者の会」(略称;登文会)の会長が大阪に集まりました。
会議の前に、北浜(証券会社の街)、中之島(大阪の中枢)、道修町(製薬会社の街)を一緒に探索しました。
◆大阪登文会の青山事務局長の青山ビル(登文、1921年、大林組が建築)に参集しました。
甲子園のツタを移植したのだそうです。
館内には随所に大正時代のイタリア製ステンドグラスが残され階段の手すりはねじり細工で作られており、
料理の運搬用リフト、マントルピースなど珍しいものが沢山ありました。
青山ビルのお隣の伏見ビル(登文、1923年築)
大正時代にホテルとして建築され、おばあさんと娘さんがお洒落なレトロビルとして運営されています。
◆道修町の中心、少彦名神社(登文、1910年築)、神農さん(薬の神様)が祀られています。
神社の会館は薬の博物館「くすりの道修町資料館」になっています。
道修町は、1-4丁目までの東西の細長い町内(175世帯)で大阪の中心部の町です。
江戸時代、清から漢方薬、オランダから蘭方の薬など輸入薬品を扱う薬種問屋がここに集中しました。
幕府の管理下の薬屋の特区でしょうね。
旧・武田長兵衛商店本店(1928年築)。現在は武田薬品工業の資料館
旧・小西儀助商店(重文、1903年築)
現在のコニシ。薬品だけでなく、アサヒビールを創業したり、接着剤ボンドを発明してコニシボンドして有名。
有名な緒方洪庵先生(1810‐1863年、医師、蘭学者)
大阪に適塾(大阪大学の前身)を開き人材を教育しました。
天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖と言われます。
適塾(重文、1830年築)
適塾から多くの医学生や人材が輩出しました。
◆北浜エリアは東京の兜(かぶと)町と双璧で証券会社が林立します。
新井ビル(登文、旧・報徳銀行大阪支店。1922年築)
北浜の大阪証券取引所(1935年築、2004年改築)、前の銅像は五代友厚公
旧大阪教育生命保険(1912年築)
日本基督教団浪花教会[1930年築、設計ヴォーリス]
◆難波橋(呼称、ライオン橋)中之島と北浜をつなぐ橋
中之島の大阪市中央公会堂(重文、1918年築)
大阪府立中之島図書館(重文、1904年築)
昔懐かしいガス灯
さらに日本銀行大阪支店など、多くの文化財が沢山あります。
大阪は、さすがに明治・大正期の重文、登録文化財があり、空襲を免れた近代建築が沢山あります。
また、じっくり見学をしたいものですね(^O^)
後記
青山ビル(登文)の会議室をお借りして、大阪、愛知、京都の登文会の会長会議を開催し、実りの多い議論をしました。
全国の登文会を組織化して、会員を増やし文化財を保護・修復をして生かす形で
後世に残していこうという話合いになりました。
頑張りましょうヽ(^。^)ノ