2019年5月13日 (月)
イタリア紀行記(その2 感動のバチカン市国)
今日は、ローマのテベレ川の向かいにあるバチカン市国を訪問しました。
ここは、世界13億人のカトリックの総本山、ローマ教皇(旧称、ローマ法王)がおられる世界最小の国家、人口は809人、政府はローマ教皇庁で責任者は国務長官(枢機卿)。
新約聖書に登場するペトロ(AD1~67年)はイエスキリストに従った最初の弟子で、初代のローマ教皇とされる。ペトロがこの地で埋葬されサン・ピエトロ広場となりました。
サン・ピエトロ広場にきました。
1667年、大芸術家ベルニーニ(1598-1680年)によってデザインされ、大聖堂を中心に両翼に半円形のギリシャ神殿のような回廊が広場を囲みます。
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのために作られた」
彼は、バロック芸術の巨匠であり、古代遺跡が残る古都ローマは彼の手によって壮大なスケール、絢爛豪華な美の都に変貌しました。
彼の設計で、サン・ピエトロ広場の回廊は、まるで大聖堂が腕を広げて信者を抱擁しているように感じます。
回廊はドーリア式円柱284本が並び、大理石の聖人像がその上部に飾られています。
この広場に世界中から十数万人のカトリック教徒が集まり教皇が謁見します。
現地案内の三崎さん、博学で情熱的なピカイチのガイドさんです。
イヤホンガイドを耳につけて話に聞き入りました。
AD40年にエジプトから運ばれてきたオベリスク(高さ25メーター、320トン)
サン・ピエトロ大聖堂です。
この大聖堂は、1452年、ニコラウス2世が再建の命を発し、ラファエロ、ミケランジェロたちが建築に取り組み、1626年に竣工しました。
ペトロの像で「天国のカギ」を持っています。
クーポラの下には法王の祭壇があり、ベルニーニのブロンズの天蓋が荘厳です。
ミケランジェロ(1475-1564年)25歳の時の作品「ピエタ」、キリストを抱くマリア
ミケランジェロは自称、彫刻家ですが画家、建築家、詩人で、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)と並ぶルネッサンス期の万能の巨匠です。
いよいよバチカン博物館への入場です。すべて予約制でテロ警戒が厳重です。
ギリシャ彫刻の間です。
タペストリーのギャラリー
素晴らしい天井画が続きます。
有名な壁画が続きます。
ラファエロの間、ラファエロ(1483-1520年)作「アテネの学童」
ラファエロはルネッサンスの三大巨匠(ミケランジェロ、ダヴィンチ、ラファエロ)と言われる画家、建築家です。ラファエロは孤高の天才ミケランジェロとは異なり、大規模な工房を経営する優れたプロデューサーでもあり37歳の早逝の割に多数の作品を残しました。
近代作家のマリア像も色々とあります。
藤田嗣治のマリア像
マルク・シャガールのマリア像
色々な有名画家がバチカンのために心血を注いで描いています。
いよいよシスティーナ礼拝堂。
ここは宮殿の一番奥にあり教皇の公式礼拝堂で教皇選挙の会場でもあります。
壁画、天井画を描きつくしたミケランジェロの超大作です。
天井絵には旧約聖書の預言者、アダムの創造、楽園追放、ノアの洪水と描かれます。
最後の審判
ミケランジェロ38歳から壁画を描き始め、24年後に着手した大作。
圧倒される大迫力でした。
カトリックの2千年の歴史と信徒13億人の熱気とイタリア人の芸術への執念と才能に感動しました。
ギリシャから古代ローマに受け継がれたデモクラティックな気風、キリスト教文明の聖地のバチカン・・・ローマは強烈な思い出に残る旅でした。
次は、フィレンツエとアッシジへ・・・・