喜左衛門ブログ:President Blog

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2019年5月17日 (金)

イタリア紀行・・・・その5(最終編)。アドリア海の宝石、ヴェネツィア

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フィレンツェ駅から列車で2時間、ヴェネツィア駅に到着、駅の前が波止場です。

ヴェネツィアはラグーナ(潟)に点在する118もの島を400の橋でつないでいます。。
5-6世紀の頃、異民族の侵略から逃れ湿地に無数の杭をうちこみ作られた人口の島です。
中世以来、東西貿易の拠点として栄えました。
14世紀には「アドリア海の女王」と呼ばれる強大な海運共和国として栄えました。
波止場からモーターボートに乗り、サンクレメンテ島のホテルの向かいしました。

ホテルの庭に見える巨大なマツボックリと思いきや人の顔・・・モダンアートでした(^^♪

島のホテルの横に古い修道院の教会がありました。


夜にモーターボートで本島に向かいました。

サンマルコ広場のドゥカーレ宮殿です。

ヴェネツィアでの名残惜しい夕食会です。

 

どこに出かけるのもタクシーのようにボートを使います。
海洋民族なんだ・・・

巨大なランドマークの鐘楼です。

サンマルコ広場のカフェでは、野外コンサートがあちこちで繰り広げられます。

冬の高潮の時は、この辺りも海水につかることもあります。
大きなタワーのてっぺんに翼をもつライオン、聖マルコの守護神です。

時計台の宮殿です。

いよいよドゥカーレ宮殿の見学です。


武器の展示です。


運河をゴンドラが行き交います。


運河を16世紀の石造りのリアルト橋が架かります。

「ため息の運河」、石造りの小窓は牢屋が連なります。

ムラーノ島は13世紀からヴェネツィアングラスの生産で有名で、工房巡りをしました。


あっという間に馬の置物ができました。すごい!!

ここで、ヴェニスの商人vs近江商人の死闘を演じました。
価格の値切りであります(@_@)、
痛み分けで価格を折り合い買い物しました。(^^♪

トルチェッロ島に行きました。
運河に掛かる橋の上で・・・

アッティラ大王が座った石のイスだそうです。

アッティラって、誰だっけ??

ブラーノ島は、16世紀から刺繍で有名なところで可愛い家が運河沿いに並んでいます。

ここで人間国宝のおばあさんが刺繍をしていました。

ここで皆さんと記念撮影です。

名残惜しく最後の夕食会は感激的なひとときでした。

翌日は早朝からヴェネツィア空港からイスタンブールへ、そして成田へ、そして伊丹に帰りました。

ヴェネツィアの思い出のガラス人形が、我が家の飾り棚に到着しました。

長いようで短い楽しい楽しいイタリア旅行でした。
22歳で学生仲間と来た欧州、再び、年をいってから来るとまるで違って見えました。
人生の残り時間が少なくなると色々なものが生き生きと輝いて見えますね。(^_-)-☆

★ヴェネツィアが最も輝いた時代・・・・
1204年、第4回十字軍にてヴェネツィア艦隊は東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルを攻略、以後、200年間はキリスト教世界の中で屈指の海軍力を持つ都市国家となりました。15世紀の後半からオスマン帝国が地中海の制海権を抑え、大砲の登場で干潟の防衛上のメリットがなくなり、またヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰の発見により大航海時代となり、貿易の主役はアドリア海から大西洋へ移りました。
★どの国も最も輝く時代があります。
日本は近代では、日本の土地の時価総額がアメリカを上回りジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた昭和バブル期、第1次世界大戦で勝利し関東大震災を乗り越え世界恐慌から復興する1935-1945年は海外膨張し世界の大国を目指しました。
しかし、輝きは蜃気楼のようなものかもしれません。
★自分に置き換えても・・・
わが身も一番輝いた時代があったか?・・・まあ、今が最も楽しいときであります。
イタリア旅行は色々と瞑想(妄想?)ができ、実りの多いひとときでした

小学生の修学旅行の絵日記のような“イタリア紀行”に長々とお付き合い頂き誠にありがとうございました。m(_ _)m