喜左衛門ブログ:President Blog

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2019年11月11日 (月)

三兄弟の早朝ミーティング

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先月の月末、恒例の早朝ミーティングです。

今日のテーマは、息子達を相手に「その時、父は・・・」という
小生の人生を叩き台にしたディスカッションです。

◆誕生。昭和23年(1948年)、近江の五個荘で4人兄弟の末子の長男で生まれました。

◆入社。社会修行後、24歳で塚喜商事に入社
すぐにオイルショックに遭遇・・・父の経営者としての判断を間近で経験した千載一遇の機会でした。

◆社長業。26歳で塚喜毛皮㈱(社名変更してツカキ㈱)を設立、社長に就任
すぐに長男、喜世志が生まれました。今、副社長です。

30歳代は無茶苦茶頑張り、ツカキ㈱の年間4-5億円の純益をあげました。
ツカキ㈱の社員も一騎当千、私も生意気で得意絶頂の鼻持ちならぬ青年社長でした(>_<)
お恥ずかしい・・・

◆襲名。36歳、喜左衛門(6代目)を襲名・・・父は、私が少しは先祖の恩を感じるだろうと
お灸をすえるつもりで渋々、代(だい)代わりをしたのでしょう。

双子で生まれた兄の方の大二郎・・・今、専務です。

◆バブル崩壊。41歳、株式は大暴落、倒産が渦巻く・・
父が財務投資していましたから、責任は父、小生はこれをチャンスと思い、
自社株が暴落したので税理士さんを説得して、銀行の協力で父の自社株をすべて私が購入、私の父は偉かった。
これ以来、会長(父)は息子(小生)にようやく全権を任せました。

◆過去の清算へ。45歳、東京店、東京浜町店、八王子店をすべてツカキ東京㈱へ統合し、
栄光ある過去の不採算部門を解消。後期者たる自己責任を痛感。

◆災禍。47歳、阪神大震災(1995年)
51歳。父の死(91歳。2000年7月31日没)、私の師匠であった偉大な愛すべき父は91歳で大往生しました。
死の1週間前まで日経新聞を読んでいました。
52歳、NYテロ(2001年9月11日)、室町の倒産旋風。

◆攻めに転じる。53-56歳、中平㈱の事業譲受、マリエクラッセ㈱と京都和装㈱の買収、
アンツカキ㈱の設立など、ツカキスクエア京都の大改修、人生で最も忙しい時でした。

◆58歳、たけうちショック(2006年)、室町は倒産の嵐。
負けん気で、ここはチャンスと腹を据え筑紫野ベレッサ(商業施設)を買収、
招喜庵(重森三玲旧宅の主屋)の購入と改修。

◆60歳、リーマンショック(2008年)、金融界大打撃、弊社の財務も大損害、
東京・九段下のしょうけい館を買収、タカノハスクエアの大改修、145周年を大々的に開催。
この年(2011年)に、三男・喜三郎が結婚。

◆63歳。東日本大震災が発生(2011年3月11日)
宮城県は海岸べりの住宅地が喪失して、仙台に住宅需要が高まり、
仙台の土地をいくつも購入して、マンション建築に乗り出し、社会の要請に応える。(マンション6棟)
㈱タムラ(下着メーカー)、西陣織あさぎの買収をする。

◆67歳(2015年)、150周年事業を実施。
筑紫野ベレッサ(福岡の商業施設)を売却し、ニューヨークのマンハッタンのビルを購入。
㈱京朋を設立。

◆70歳(本年)。鳴滝クリエイティブセンターを改修、西陣織あさぎ美術館を設立。

「チャンスの時にピンチの萌芽があり、ピンチの時こそ最大のチャンス」
多くの夢、果たせなかった夢、これからの夢を息子達に語りました。
次世代よ、頑張れ!!