2019年11月18日 (月)
近江八幡から商う、八幡で暮らす
「八幡から商う、八幡で暮らす」・・というタイトルの講演会が、近江商人の研究ナンバーワンの滋賀大学でありました。
滋賀県の彦根駅前の銅像、彦根藩の始祖、井伊直政です。(戦国時代大名の徳川四天王)
井伊さんというと大老の井伊直弼(いいなおすけ)が有名ですが、
明治政府では大悪人ですが、滋賀県では名君の誉れ高い英雄であります。
彦根城のお堀です。この彦根城に滋賀大学があります。
今回の講演会のパンフレットです。
滋賀大学経済学部の史料館です、
近世の商業史の研究ナンバーワンの研究所です。
いよいよ講演会が始まります。
近江八幡市の豊臣秀次(秀吉の甥)の町割りが現存し、今も近江商人屋敷が軒を並べます。
烏野茂治先生(近江八幡市文化観光課市史編纂室)です。
安土城(織田信長)の落城に伴い、隣町の近江八幡へ楽市楽座の権益が移転しました。
近江八幡の商業都市としての権益は、織田信長から豊臣秀次に継がれた掟書(おきてがき)にあります。
聴講は熱心な方々です。
講演は非常に熱がこもり熱心の方々の集まりでした。
豊臣秀次の死、豊臣家の没落、近江八幡は天領になりました。(徳川の直轄)
さらに、尾張藩の飛び地領地となりました。
で、尾張藩からの命令で、近江八幡からの巨大な物流は、尾張を経由して江戸に向かうルートに変更となりました。
質疑応答で、宇佐美先生(滋賀大学経済学部名誉教授)から質問です。(上段 中央)
近江商人研究の大権威(宇佐美先生)からのハプニング質問で、烏野先生も大慌て・・
小生(NPO三方よし研究所の理事長)も調子に乗って意見を申しました。
小生の父は八幡商人の家から拙宅(五個荘商人)へ養子で来ましたから近江八幡びいきであり、
小生は現役の近江商人として、また土地の人間として、色々と質問をしました。
小生は、「八幡商人が権力(新領主の尾張の徳川の殿様)に屈して、近江八幡~日野~伊勢・白子への
伝統の商業ルートを変更し、尾張経由への物流になぜ変えたのか?」という反骨の質問であります。
この講演会は小生にとって非常に有意義でありました。
滋賀大学の正門前は彦根城の内堀です。
三方よし研究所の岩根さん(彦根)や田中恵里子さん、そして、近江八幡の西川財団の奥村本店支配人さん、
彦根の山田さんら多くの旧知の方と一緒の勉強会でした。
実に有意義で楽しい滋賀大学のひとときでした!(^^)!