喜左衛門ブログ:President Blog

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2020年1月22日 (水)

伊藤忠商事㈱東京本社で役員研修をしました。

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先週の木曜日、京都・東京のツカキグループの役員20名は東京に集合しました。
1914年(大正3年)、辰野金吾(1854-1919)が設計して完成した東京駅。

うーん、いいなあ!(^^)!
重要文化財です。他にも日本銀行本店、大阪支店、京都支店などがあります。(すべて重文)
京都には、他にも日本生命京都支店(登文)、第一銀行京都支店などがあります。

丸の内のビル街

地下鉄で外苑前駅の上に伊藤忠商事ビルがあります。

まずは、黛さんのご挨拶と「伊藤忠兵衛162年間の三方よしの軌跡」の紹介です。

「なりきり近江商人」コーナーです。
塚喜商事の高松専務が挑戦しました。

このコスチューム、どこかで見たことがあるって?
そりゃ、この合羽は弊社が縫製・復刻し、菅笠などともに近江商人博物館や伊藤忠商事に寄付しましたから・・・
「NPO三方よし研究所」の前期のテーマは、伊藤忠兵衛さんにスポットを当てシリーズで勉強しました。
① 豊郷の忠兵衛さんの生家での片桐二郎さんの講義・豊郷小学校を見学、
② 宇佐美先生(滋賀大学)から伊藤忠兵衛講座を勉強、
③ 伊藤忠商事の現役の社員さんのパネルディスカッションを大阪で開催

さて、伊藤忠スクエア(東京青山・本社)での公開施設の見学です。
すごろく形式でスマホの画面を見ながら伊藤忠商事の162年間の歴史をたどる仕掛けになっています。

実に上手に遊び感覚で学習できるのです。

伊藤忠商事さんの162年間の歴史の中で最大のピンチについて話題になりました。
・1920年の大不景気で海外支店の閉鎖などの大損で資本の半分を失いました。
・1923年に続いて関東大震災で東京支店を焼失。
非常に厳しい時代を大決断で乗り切りました。
実は、その6年後に世界恐慌(1929年)が到来し、多くの銀行や会社が倒産しますが、
伊藤忠商事はすでにリストラが済んでおり、このピンチを乗り越えます。
次は、バブルが崩壊した1999年、▲4950億円の大赤字を計上した時です。
伊藤忠商事の株式は暴落(168円へ、現在2530円)し、輸入のLC(信用状)の発行にも
デポジット(保証金)を要求される有様となりました。
これも不屈の精神で蘇っていきます。

伊藤忠商事本社の22階の巨大なビルの会議室から、東京オリンピックのメインスタジアムが見えます。

3時間に及ぶ研修です。

今日の主役の片桐二郎さんです。

一橋大学出身の英才で、伊藤忠商事入社後、物資部のタイヤの販売を担当されました。
モーレツ社員の時代の話、変わらぬ伊藤忠商事への愛に燃え立つ人ですね(^_-)-☆

これは伊藤忠の人事部のシンボルの人の和(輪)です。

初代、伊藤忠兵衛さん(天保13年生まれ:1842-1903年、61歳で没)

近江の豊郷で生まれ、伊藤忠商事、丸紅を起こす。三ツ割銀・・・
利益を本家納め5、本店積立3、店員配当2という形で純益を分けました。
「しまつ(始末)してきばる」(経費を倹約して懸命に頑張る)

初代の妻、八重さん(1849-1952年、104歳で没)

豊郷で本家をすべて取り仕切り、新入社員の教育をし、近在の商家の
娘の住み込み教育(いわゆる汐踏み)をしました。
典型的な近江商人の妻で忠兵衛の事業のパートナーでした。

2代目、伊藤忠兵衛さん(1886-1973年、87歳で没)

17歳で父(初代)が逝去し、忠兵衛を襲名。
八幡商業高校から、東京商大(現・一橋大学)への進学をあきらめ入店、
イギリスに留学して、社長に就任
初代は伊藤忠を豊郷から「日本の伊藤忠」にし、2代目は「世界の伊藤忠」としました。
三方よしの精神でコンプライアンスを追求し、顧客目線の現場主義の徹底した経営者でした。

ツカキグループのために熱弁して頂いた片桐二郎さん

講演の後、ツカキ役員の質疑応答で盛り上がりました。
最後はお昼に地下にある社員食堂で昼食をしました。

後記
非常に実りの多い研修でした。
近江商人のDNAが共通で、方言「しまつしてきばる」まで同じで、三方よしの理念は同根で、
他社研修とは思えないフィット感がありました。
片桐さん、伊藤忠の皆様、本当にありがとうございました。