喜左衛門ブログ:President Blog

喜左衛門ブログ:President Blog

2020年2月10日 (月)

麒麟がくる・・京都・山崎は戦国時代のヒーローの集合場所ですね!(^^)!

LINEで送る

先週、「登録文化財・全国所有者の会」の会議を「天下分け目の天王山」で開催しました。
JR山崎駅(東海道本線)に集合しました。
この駅のプラットホームに東半分は京都府、西は大阪府で両方の府の境界線にあります。
つまり、大阪府・島本町山崎であり、京都府・大山崎町です。(近くの阪急の駅名は大山崎駅です。)
名水の名所で、サントリーの山崎蒸留所があり、“山崎”ラベルは大人気です。

JR山崎駅前の左手は山崎八幡さん、859年に清和天皇が建立。石清水八幡宮の元社。
荏胡麻(えごま油)の製造の元締めであったので大山崎油座の制度で油の独占販売権をもちました。
後年、斎藤道三の出世の元となった神社です。
山崎駅の右手には妙喜庵があります。千利休の茶室「待庵(たいあん)」があります。
日本最古の茶室建造物で、現存する利休の唯一の茶室で国宝です。
秀吉は、山崎の合戦のあと、天王山に城を築き、ここを本拠として半年間住み利休を招いて茶室を作らせたといいます。

◆天王山への登り口に、宝積寺(創建724年、聖武天皇の勅願で行基が創建)があります。

ここの三重塔(重文)は、秀吉の一夜塔と言われております。

天王山への山道はきつく、寺西理事長夫妻は仲良く登られました。

陶板で天王山の合戦の模様が描かれています。

「秀吉の旗立ての松」展望台は、絶景でした。
「山崎合戦の地」の石碑です。

山崎の合戦(1582年)

本能寺の変(天正年6月2日)にて、織田信長は明智光秀によって討たれました。
当時、秀吉は毛利との戦(備中高松城攻め)の最中で、信長急逝の悲報を聞くやすぐに陣をたたみ、
京の都へ仇討ちのため急行します。(中国の大返し)
本能寺の変の11日後の6月13日、山崎の合戦で光秀を破ります。



いわゆる「光秀の三日天下」と言われるゆえんであります。

◆山崎聖天(899年に寛平天皇により創建)に参拝


桜の名所です。

◆アサヒビール大山崎美術館の全景(登録文化財)

大正・昭和の初め、実業家・加賀正太郎(1888-1954年)によって建てられた英国風の別荘。
ニッカウイスキーの竹鶴政孝の出資者としても有名。
晩年、盟友の山本為三郎(1893-1966年、アサヒビールやリーガロイヤルホテルの創業者)にニッカを譲り、
後年、大山崎山荘もアサヒビールが引き受けます。山本為三郎は民芸活動を支援し、河井寛次郎、浜田庄司、
バーナード・リーチなどの名品のコレクションが残っています。

登録文化財の8名のメンバーで記念撮影

加賀正太郎の夢、大山崎山荘のたたづまい、民芸活動の名品やモネの睡蓮・・・
すばらしい文化と芸術に酔いしれました。

大山崎山荘の公園にて、小栗兄妹

ブロンズのウサギ像。うさぎに扮する小栗治子さん

◆生々居・・・加賀正太郎が昭和11年、設計した大山崎山荘のお隣のスイス風の山荘
5年前に京都府から依頼があり、小生がお引き受けをしまして保存維持をしています。

さて、登録文化財全国所有者の会(略称;全国登文会)の役員会が始まりました。

6月の大阪での「全国登文会フェスタ」と「全国登文会・総会」に向けての話です。

小栗副理事長(大学教授)と真也さんと治子さんの兄妹

いよいよ乾杯で懇親会です。

今回は寺西理事長(大阪・登文会会長)と青山事務局長(大阪)、小栗副理事長(愛知・登文会会長)と塚本副理事長(小生、京都・登文会会長)、渡辺副理事長(東京・登文会副会長、今回は欠席です)がそろいました。
文化財を実質切り盛りしている奥様方と、次世代が参加され、とても有意義な会合でした。
この役員会(正副理事長会議)は、昨年から愛知、大阪、京都へと会場を移し、次回は東京での会議です。
回を追うごとに会議の中身が濃くなり、懇親も深まり、家族ごとの交流が深まりました。
非常に楽しい有意義な会でした!(^^)!