2020年7月27日 (月)
文人・上口昌徳さん(かよう亭)は素敵だね(^_-)-☆・・・
連休で、久しぶりに家内と加賀の山中温泉に行ってきました。
鶴仙渓は先日までの大雨で、大聖寺川の流れは早い・・・
渓谷はいたる処から、滝となり水が大聖寺川へ注ぎ込みます。
苔むした芭蕉堂(110年前に建立)です。
松尾芭蕉は、奥の細道の道程で、山中温泉には元禄2年に7月27日~8月6日(10日間)逗留しました。
華道の勅使河原宏(1927-2001、草月流三代目家元)がデザインした
ワインレッドのS字状のユニークな「あやとり橋」
鶴仙渓に掛かる歩道橋で94メーターの鉄橋(両岸は5メーターの高低差)で、1991年に上口昌徳氏らの地元の尽力で完成。
鶴仙渓に来ると、必ず、渡りたくなる橋です。眼下には大聖寺川が流れます。
山中温泉街にある「芭蕉の館」の前の「芭蕉と曽良の別れの場面」
330年前の出来事、芭蕉は弟子の曽良を伴って江戸を出立して4か月、山中温泉にきましたが、いよいよ曽良と別れの時が来ました。
■ゆきゆきて、たおれ伏すとも萩の原(曽良)
■今日よりや、書付消さんと笠の露(芭蕉)
苦楽を共にした二人、芭蕉は「笠に書いた同行二人の文字を落ちる涙で消しましょう」
山中温泉は、山中塗り(木地と漆芸)の作家・佐竹康宏さん(一昨年逝去)、多田桂寛さん(数年前に逝去)、九谷焼の松本佐一さんなど、多くの素晴らしい作家さんと仲良くさせて頂きました。
古来、山中温泉は多くの伝統工芸や文人が集まってくる不思議な場所です。
山中温泉に何回来ても飽きない原因は、大自然と伝統工芸、文化の香りがあります。
温泉街のアート
鶴仙渓にある「かよう亭」にきました。
いつも亭主の上口昌徳と女将さんが、おかえりなさいと出迎えてくれます。
かよう亭は13室ありますが、コロナ感染防止で5客しかとらず、温泉風呂も専用です。
私ども夫婦は大温泉をなんと独占使用です。
温泉の湯殿を撮ったのは生まれて初めてです(*^-^*)
亭主の上口昌徳さんの道楽で、宿には色々な古美術品が調度品として置いています。
山塗りの作品です。
上口亭主の思い出の品・・・勅使河原宏さんの書と手紙です。
眼上の扁額には、勅使河原宏さんの味わいのある毛筆で、上口亭主に宛てたお手紙です。
「夢」の絵皿の横には、勅使河原宏さんの直筆の文字(道元禅師の公案)
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて冷しかりけり」とあります。
勅使河原宏さんは、家元であり、映画監督であり、アーティストで、一方、上口昌徳亭主は美食家で美術品が大好きで、伝統工芸と郷土を愛する人です。
かよう亭は古美術品の食器を使い、女将が金継ぎ(陶器が割れると金でつないで再利用する)の名手で、古い素晴らしい食器が惜しげもなく登場します。
伝統工芸派の小生、古い陶磁器の好きな家内は、かよう亭が大好きなのです。
かよう亭には、お花がたくさん活けています。
かよう亭のティーサロン
冬瓜ののっぺ汁
デザートのみかん
上口昌徳亭主ご夫妻とは、もう20年間のお付き合いなり、亭主も五個荘の拙宅に来られたり仲良くさせて頂いています。
久しぶりの小旅行で、山中温泉の帰りに金沢を訪問しました。
兼六園です。幕府の老中首座の松平定信が、「広大、幽玄、人力、蒼古、水泉、眺望」の六つを兼ね備えていることから兼六園と命名したそうです。
兼六園のお隣が、金沢城です。
前田利家がまつと一緒に築いた名城
復元したばかりの鼠多門(ねずみたもん)です。
金沢城の前にある尾山神社です。
バサラ大名の前田利家とまつを祀る尾山神社だけあり、趣味がバテレン風ですなあ・・
金沢はもともと尾山といい、戦国大名の佐久間盛政が一向一揆の印象のある尾山から金沢に城名に変えました。
次に入城した前田利家は出身地である尾張国に通じる尾山を採用しました。
金沢のことを、古い地元の人は尾山といい、この神社も昔から尾山神社だそうです。
後記
山中温泉から金沢へのミニ旅行でした。
金沢の武家文化、山中温泉のひなびた町人文化、実に味わい深い加賀紀行でした。