喜左衛門ブログ:President Blog

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2020年11月27日 (金)

ディープな京都探訪・・・壬生と島原

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秋の夜長、ワルイ仲間三人と出かけた話・・・
京都の西本願寺の西側に“島原”と呼ばれる地域があります。
江戸の吉原、京都の島原・・・そう昔の遊郭の代名詞です。
江戸時代、天草四郎で有名な「島原の乱」が勃発し、島原は鉄砲や火矢で夜も煌々と明るく戦いの音がすさまじかったといいます。
この島原騒動のように、煌々を騒がしいというので京都の西新屋敷(旧名)は「島原」と呼ばれるようになったそうです。

◆これは角屋(すみや)さんで昔の揚屋(あげや;料亭)です。
今は、「角屋もてなしの文化美術館」となっています。

玄関です。

新鮮組の刀傷

立派なふすまですね。(松村景文筆)

与謝蕪村の屏風(重文)など多くの文化財があります。
江戸時代、角屋の当主は俳諧に造詣が深く、角屋は京の俳壇として有名でした。

床の間は立派です。

お庭は京都市指定名勝です。

箱階段

刀箪笥があり、新選組や宴会にくる客の刀は店が一括して預かりました。
薩摩vs長州、勤皇浪士vs新選組など犬猿の仲が偶然、角屋で宴会をしている場合がよくあります。いかに鉢合わせを防ぐか、厠(トイレ)に立った時も気を使います。
もてなしの館ですから、これは角屋の腕のみせどころ・・・・

台所です。(重要文化財)


昔の栄華が偲ばれます。

◆壬生寺です。

律宗大本山で地蔵菩薩が本尊で、991年に創建です。

本殿です。

壬生狂言(大念仏狂言)の舞台です。

◆壬生寺の門前にある八木家。
新鮮組(当初は壬生浪士組と言った)の屯所でした。



芹沢鴨はここで暗殺されました。
その寝所から、隣の座敷が公開されています。
新選組の仲間割れで夜半に、酔いつぶれている芹沢鴨らに切りつけ血の粛清が行われました。

いよいよ島原の大門です。

◆輪違屋(わちがいや)は置屋(おきや;太夫や芸妓を派遣する店)です。

輪違屋の座敷です。

お部屋のしつらえです。


1階のお座敷バーで輪違屋10代目の当主の高橋利樹さんのディープな夜話になりました。
ここからが、このブログのハイライトシーンになるのですが、主人と我々3名の話の中身はさすがに非公開であります。
映倫に違反しそうな言葉が飛び交い、京のウワサ話が飛び出し、小生のようなくそ真面目な唐変木にとっては、実に深い経験でありました・・・(^_-)-☆