喜左衛門ブログ:President Blog

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2021年1月23日 (土)

近所の散歩コースの偉人、続編

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先週の日曜日、拙宅(京都市山科区)の近所を1時間半ほど散歩しました。
家のすぐ横に国道1号線(三条通り)が走っています。
この大きな道が国道1号線、左の小さい道が旧・東海道です。

街道筋には、かような古いウダツのあがる立派な旧家がいくつもあります。

東海道に拙宅のベス(ラブラドール・レトリバーの老犬)のお医者さん(マックス・クリニック)や、お菓子の城「ローヌ」さんがあります。

昔、国道(三条通り)に路面電車(京阪)が走っていましたが、線路跡地が長大な公園になっています。

京都薬科大学で、拙宅のすぐ近所に本校、南校舎、グランドなどが密集しています。

◆天智天皇の御陵です。

拙宅の住所は、御陵大津畑町(みささぎ)といい、この御陵のごく近所です。
天智天皇(626-672)は、小倉百人一首の1番札(最古)であります。
(西陣織あさぎ美術館の光琳かるたより)

天智天皇の若いとき、朝廷を牛耳る蘇我入鹿を暗殺してクーデターを起こし、大化の改新の成し遂げた中大兄皇子(=天智天皇)です。
朝鮮の百済を助け、白村江の戦いを起こしたが敗戦、すぐに中国と和解するため遣唐使を送りました。
天智天皇は、律令制度を導入し、日本を国家として形作った先駆者といえましょう。


この大偉人へ二礼二拍一礼をしました。

◆琵琶湖から京都への疎水です。

左手が天智天皇陵、右手が疎水(水路)です。
春は桜、5月は新緑、夏はせみ時雨、秋は紅葉と素晴らしい情景です(^_-)-☆

◆次の偉人は蓮如上人(1415-1499)です。

拙宅から歩いて5分間で蓮如上人の御廟があります。

蓮如上人は浄土真宗の8代目の門主でしたが、当時は青蓮院の末寺に落ちぶれていた宗門を再興し「本願寺の中興の祖」と言われています。
蓮如は「御文」といわれる浄土真宗の教えを文章にして木版印刷(数百種)して何百万枚を全国の信徒にくばり信仰を広めました。(現在、拙宅で使っている御文)

蓮如は戦国時代に生き、比叡山(天台宗)の圧迫を受け全国を流浪してやがて山科の地に山科本願寺(1483-1532)を建立しました。
当時は宏大な寺領でしたが、1532年に六角氏の焼き討ちにあいます。
今は、別院という形で残っています。
東御坊(東本願寺の山科別院)

西御坊(西本願寺の山科別院)

後記
拙宅は昔の広大な山科本願寺の境内だった場所にあり、拙宅の宗教は浄土真宗(東本願寺)で、仏壇の前でいまだに蓮如上人の御文を唱えています。
天智天皇も蓮如上人もごく身近におられる偉人であります(^^♪