喜左衛門ブログ:President Blog

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2021年5月31日 (月)

伊藤若冲と臨済宗(禅宗)の相国寺派の大本山

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京都御所の北隣に相国寺(しょうこくじ)があります。
同志社大学のお隣でもあります。

同志社大学啓明館(1920年築、ウィリアム・メレル・ヴォ-リズ設計)登録文化財

少し歩くと、相国寺があり臨済宗(禅宗)の大本山です。
相国寺は、室町時代に足利義満により創建され(1392年)、夢窓疎石により開山されました。
京都五山(室町時代)の第2位の立派な大伽藍です。

鐘楼「洪音楼」です。(1843年築)

庫裏(くり)「香積院」
大きい破風や壁画が有名

法堂「無畏堂」(重要文化財)


豊臣秀頼により再建され、狩野光信のよる天井画「蟠龍図」
龍の目玉が八方を睨み、手を叩くと龍が鳴きます。(カタログより)

方丈を拝観しました。

方丈の室内に、法華経の経文で書かれた文字絵の観音菩薩画像を拝観

方丈の杉戸絵。白象図、原在中(1750-1837)筆

境内にある承天閣(じょうてんかく)美術館に向かいます。

相国寺にゆかりがある円山応挙や伊藤若冲、原在中などの絵が沢山あり、相国寺が愛した江戸時代の名画の宝庫です。(国宝5点、重文145点を収蔵)

近江出身の梅荘顕常(大典顕常、禅僧、Ⅰ719-1801)は若い頃から自由人で、伊藤若冲(1716-1800)と親交が深く、後年、顕常は相国寺の住持となり芸術を庇護した大人物です。

伊藤若冲と大典顕常は相思相愛を思えるくらい濃密で、多くの若冲の絵(掛け軸)に顕常は賛(称える言葉)を書いています。

若冲の世評は「奇想な絵師」と言われ、夢中で絵を描き続けました。

若冲は顕常(相国寺)のために釈迦三尊像と有名な動植綵絵(どうしょくさいえ)40幅を書き残しました。

向日葵(ひまわり)雄鶏図

老松孔雀図

雪中鴛鴦(おしどり)図

芙蓉(ふよう)双鶏図

相国寺は明治初年の廃仏毀釈で窮乏に陥り、明治22年に宮内庁に伊藤若冲が寄進した動植綵絵40幅を献納して下賜金1万円をたまわり、1万8千坪の境内地を維持でき相国寺は息を吹き返しました。
相国寺は、今でも伊藤若冲の命日には「若冲忌」の法要を営み遺徳を称えています。

江戸の中期の京都の「売茶翁」(風狂で高名な禅僧)の掛け軸や、町衆の画家である円山応挙や伊藤若冲、与謝野蕪村の伸び伸びとした絵が相国寺には沢山あります。


代々の相国寺・管長は天皇と親しく、独特の雅な気品のあるお寺です。
禅宗独特の自由な庶民性があり、芸術家や文人に理解が深く、承天閣美術館には若冲への深い慈しみと感謝の念が漂っています。
芸術、仏教、人の情愛を感じたひとときでした。