喜左衛門ブログ:President Blog

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2021年8月27日 (金)

私の宝物

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だれしも人生の宝物がありますね。
以前に私の恥ずかしい「道楽」(書画骨董)をブログで見て頂きました。
今度は、お宝の登場です。

私の宝物は・・・
その1.先祖の家訓
「積善の家に必ず余慶あり」

意味は、「よい行いを積み重ねると、必ず子孫によいことがある」
つまり、「世間よしを実行すれば、商売はいつまでも続く」という先祖の教えです。
文言の出典は儒教の易経からで、喜左衛門(3代目)が中村不折先生に揮毫して頂きました。
中村不折先生(1866-1943、江戸に生まれ父祖の地、長野県伊那市で育つ)は洋画家であり、書家。夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿画を描いたのは有名。
「三方よし」の「売り手よし、買い手よし、世間よし」の一節「世間よし」を現しています。
近江商人は他所(生まれ故郷ではない地域)へ出て店を構えて商いに励みましたから、ご当地で余程、世間よしに努めないとよそ者として排斥されるので、ご当地へのご恩返しに努めました。近江商人は「よく気張り(頑張り)、世間よしに努める」のが習性になっています。

その2、父の遺産・・チビた鉛筆

父(5代目喜左衛門)は21年前に91歳でなくなりましたが、いつも朝3時に起床し、洗面後、一番に鉛筆(黒、赤、緑)をナイフで削り、仕事を開始していました。
本社・支店の営業日報に鉛筆(黒、赤、緑)で注意事項や叱咤激励(赤文字で「お前はアホか!」とか厳しい罵声でした)、よくできると緑の鉛筆で「よくやった!!」と書いていました。
父が亡くなると、チビた鉛筆が詰まったインスタントコーヒーの瓶が20~30個、押し入れから出てきました。
父は、時間を惜しみ、お金を節約し、仕事に集中して頑張っていました。
父は自分の分身のチビた鉛筆は捨てられなかったのでしょう。

その3、絵の家訓
「長者三代の鑑」

下段の図は、初代(木炭を切って炭の粉を集めて炭団[たどん、固形燃料]を作っている)、真ん中は2代目(お茶会をしている)、上段は三代目が破綻をしてボロボロの身なりで野良犬に吠えかけられている。
私の小学生の頃、和裁をしていた祖母の背後の床の間にこの掛け軸が掛かっており、小学校から帰って祖母に「ただいま帰りました」と挨拶すると、この掛け軸の話を百回位聞かされました。
「創業者の夫婦は真っ黒になって働いて、2代目が楽しみ事にふけっていると、3代目は破産をして野良犬に追われるようになる。アンタ、気張りや!!」
大人になって考えると、初代は朝から晩まで働きづめで、お客様のため、世のため、店のためと思って嬉々として頑張ったのでしょう。
2代目は真っ黒になって働く親をみて、自分はもっと違ったやり方で親父に勝とうと思ったのか、教養・たしなみ事を勉強して、社交に努め人脈を広げようとしたのかもしれません。でも、朝から晩まで働くという生活習慣と、三方よしの精神を見失った感があります。
次の3代目は、謡曲の本を読み白扇片手に放浪しています。

この3つは、先祖から受け継いだ、私のもっとも大事したいお宝「人の生き方」であります。