2021年8月30日 (月)
私の道楽、その2
◆私のワンコ好きがこうじて「同好の士」と行き当たりました。
応挙さんです。
私より210歳ほど先輩でありますが、大のワンコ好きなのであります。
以前に買った沢山のワンコが書かれた大きい応挙の掛け軸、今度は2匹のワンコが遊ぶ絵です。
円山応挙(1733⁻1795)狗児図
応挙は伊藤若冲(1716⁻1800)より17歳ほど後輩ですが、当時の京都の人気ナンバーワンの絵師でした。
◆応挙の高弟であった芦雪は元々、武士の子でした。
大胆な構図で斬新な手法で人気を得ました。
ただ、性格が尖っており弟子仲間で不仲が起こり最後は円山派から出てしまいます。
長沢芦雪(1754-1799)、鶴育雛図
鶴の掛け軸というと「めでたい象徴」で平凡なものが多いのですが、「肩をいからしたサムライのような鶴と、あどけないヒナの親子の図」で奇妙なバランスが面白くポケットマネーで購入しました。
◆抱一は、姫路藩の大名・酒井忠以の四男に生まれました。
兄の参勤交代などいざという時に備えて、仮養子としてなり、色々と四男坊として部屋住みの悲哀を感じながら、抱一の若いころは、遊郭で放蕩したようで他の大名家からの養子縁組の話も断りました。江戸の酒井藩邸は文化サロンの様相を呈したようです。
酒井抱一(1761―1828)雪中柳鷺図
武家のならいで狩野派から学び、俳諧や浮世絵に凝りましたが、やがて出家し文人の自由な意思で絵を描きました。自ら尾形光琳の百回忌の法要を執り行い、この頃から自由闊達な絵師として、江戸琳派の創始者となりました。
酒井抱一は晩年、「十二カ月花鳥図」の連作に取り組み画業の集大成としました。
西陣織美術工芸あさぎの作品(西陣織で復刻した短冊)
◆景文は、京都・四条派の創始者・呉春に(1752-1811)に学びましたが、景文はデッサン力があり、筆致は軽く柔和で淡白な花鳥画は一世を風靡しました。
松村景文(1799-1843)
これは節分のオカメの図ですが、非常に味わいと季節感があり思わず手に入れました。
松村景文の水墨画は、重森三玲旧宅の主屋(招喜庵、弊社)の襖絵(ふすまえ)になっており、襖の裏面は前川文嶺(1837-1917)の襖絵になっています。
重森三玲は、半世紀の異なる世代の絵師の絵を、自分の好みで自由に組合し襖の裏表にしたのでしょう。
小生の先祖の書画骨董好き、重森三玲さんの芸術性、西陣織美術工芸あさぎの伝統工芸の文芸などから、小生の拙い道楽が少しずつ昂じて味わいを感じるようになってきました。
非常に身勝手な独りよがりではありますが・・・・