2021年9月1日 (水)
明治生まれの父の墨蹟
私の父(5代目の喜左衛門)は、明治41年(1908)に生まれ、平成12年(2000)に91歳で没しました。
父は、近江八幡で生まれ12歳で叔母の嫁ぎ先である近江の五個荘の塚本家へ養子にきました。
近江商人発祥の地「近江八幡」と「五個荘」のダブルの縁組であります。
父は膳所中学、三高、京大へ進み、昭和8年に塚喜商店(呉服卸)に入店、昭和11年に母と結婚しました。時勢にのって、中国の満州まで商いを広めました。
昭和15年に兵役により陸軍へ入隊し、昭和19年5月までの6年半、中国の戦線に従軍し九死に一生を得て帰還しました。
父は努力の人で艱難辛苦にコツコツと挑戦し、その意思の強さと継続力は息子からみて大師匠であります!(^^)!
父は、昭和21年に祖父(4代目)から家督相続(旧民法)して喜左衛門(5代目)を襲名しました。
父は兵役から復員してきた社員とともに、昭和22年に商売を再興し、法人改組して日本の経済復興のイバラの道を歩みます。
呉服の現金卸に徹底し、札幌、東京、福岡に支店を設立し、事業は成長をしていきました。
昭和59年(1984)父は76歳で社長を小生(36歳)に譲り会長となりました。
戸籍上も、父は幼名の四郎に戻り、小生は喜一郎から喜左衛門(6代目)となりました。
小生の自宅の机に貼っている父の晩年の座右の銘です。
父は76歳で会長となり、平成元年のバブル崩壊の時、父は81歳で自社株式(塚喜商事)を息子に譲渡し、それから矍鑠(かくしゃく)とした10年間をおくりました。
その間の父の墨蹟を振り返ります。
◆平成2年(父81歳)の「年頭教書」
十の教えをコンコンと息子(小生が当時41歳)に言って聞かせています。
◆平成5年(父84歳)の書「恭倹持己」(きょうけん、おのれをじす)
謙虚な心掛けで自己反省の心をもつ
◆平成7年(父86歳)「年頭の訓」
素直なここと、実行力
◆同年、息子(喜左衛門)へ
徳川家康の訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。あせらず、決して油断なく」は、父の最も大事にした人生訓でした。
墨蹟は、不思議と書いた人の人格を伝え、その書かれた年齢、経験が身に沁みて伝わります。
父の家族、社員、息子、孫の愛情をひしひしと感じます。