2021年11月10日 (水)
太閤さんの大阪城を久しぶりに散歩しました。
お城っていうものは遠くから眺め、みんなの心の故郷ですね。
でも、いつも目にしていますが実際には中々お城には入らないものです。
名古屋城、江戸城すべて何百回も見ながら、実際に中に入ったことはほとんどありません。
「よ~く知ってる」という思いがあるので、あまり行かないのでしょうね。
さて太閤さんの大阪城・・・水をたたえた外堀に浮かぶ千貫櫓(やぐら)。
大手前門の横にある「千貫櫓」は、1階が65坪、2階が50坪、高さ13,5メータ―もあり櫓(やぐら)というより立派なお城ですね。
織田信長が、この地が石山本願寺の城郭であったとき、その正門から本願寺を攻略しようとしてこの櫓(やぐら)から鉄砲の狙い撃ちにあい攻めあぐねて、信長は「この櫓を落すために千貫費やしても惜しくない」といったそうです。
大手前への黒松の参道
大手門
大手見附
大手門枡形(戦さの時に大手門と多聞櫓の間の正方形の桝形広場で防御した)、鉄壁の防御の壁のなった小豆島産の巨石
多聞櫓(たもんやぐら)
内堀の空堀(からぼり)
桜門・・・いよいよ本丸への入口です。
桝形の蛸石(たこいし)、城内で最大の巨石で108トンもある
戦前につくられた陸軍の第4師団本部、現MIRAIZA
天守閣・・・高さ44メータ―ある巨大城です。
1583年に豊臣秀吉によって築造されまし、1614-15年の大阪冬の陣と夏の陣にて消失しました。
江戸時代に入り、2代目将軍の徳川秀忠によって再建されました。
城主は将軍ということになりますが、譜代大名が城代ではいり、実際の将軍で大阪城に来たのは家光、家茂、慶喜の三人だけですね。
落雷や明治維新で焼け落ちましたが、1931年に大阪市長の関一が天守閣の再建を果たしました。
大阪ビジネスパークが遠望できます。
天守閣の威容がま近かに・・・
極楽橋・・・石山本願寺(浄土真宗)の名残りで「極楽と地獄」・・本願寺のことを極楽と思ったらしいです。
水の都、大阪らしい風景です。
青屋門・・北の丸の桝形に内側にあった門
お城内を横切るだけで歩いて1時間かかりました。
豊臣秀吉の頃はこの数倍あったそうです。
まさに空前絶後の城をつくったものですね。
秀吉の夢、徳川の威信、明治維新、そして第2次世界大戦の傷跡、戦後の大阪の経済力をまざまざと感じさせる大阪城でありました!(^^)!