2022年2月16日 (水)
雪の永平寺
日本最大の禅宗、曹洞宗の総本山、福井の永平寺へ行きました。
家内と山中温泉(石川県)から定期バスで50分、山深いところに忽然と永平寺の大伽藍があります。
永平寺の開山の道元禅師(1200-53)は、鎌倉時代の初期に京都の公家に生まれました。
13歳で出家し、道元23歳のときに博多から出航し、中国に渡り南宋の諸山をめぐりました。
25歳で浙江省の天童禅寺で学び禅を学び大悟しました。
5年前、小生はNPO三方よし研究所の仲間と共に中国の浙江省(寧波)へ行き、天童禅寺を訪れ道元が吸った空気に触れ道元の肖像をみつけ感激しました。
さて、雪深い永平寺に到着しました。
巨大な七堂伽藍に若い修行僧(雲水)百人が忙しく立ち働き、修行にいそしんでします。
中でも「僧堂」(座禅・寝室)、「東司」(トイレ)、「浴室」などの生活の場は、「黙堂」と言われ修行僧同士のおしゃべりは厳禁です。
ここは山門で管首(永平寺のトップ)のみが通りますが、修行僧は入門が許される時と、修行も終えて国元へ帰還するときのみ通ることが許されます。
入門は2月中旬の雪深い中、この山門の外で2時間ほど待たされ問答を経て合格ができればこの門をくぐることができます。
禅宗はイチイチ覚悟が問われ、自分自身との戦いでもあります。
山門を守る四天王。
吉祥閣で若い修行僧から山内に説明と注意事項があり、参拝者は真剣に聞き入ります。
若い修行僧は凛として実に清々しいのです。
ただし、修行僧のスマホでの撮影は厳禁です。
それほどかっこいいのです(^_-)-☆
傘松閣です。
格天井は歴代の有名絵師の絵が装飾されています。
これは弊社の「西陣織あさぎ」が織った永平寺天井画の丸帯です。
黙室玄照禅師・本山80世貫
雪の僧堂
修行僧は朝3時半に置き、就寝は夜9時半だそうです。
僧堂で一人1畳のスペースが割り当たられますが、これが生活空間。
「坐って半畳、寝て一畳」・・・正しく、坐禅・食事は半畳、就寝は正に一畳しか与えられません。
食事を作る当番さん(弁食)は、さらに朝2時間前に起きるのだそうです。
当番の就寝時間は皆と全く同じといいますから厳しいですね。
若いからいくらでも眠り、いくらでも食べるのに・・・腹減った、眠い・・・でもこんな愚痴も修行してすぐに慣れるのだそうです。
一日は洗面、作務、読経、座禅、風呂、食事・・・実に忙しく、すべての行為が修行です。
仏殿
ちょうど仏殿で定時の当番の修行僧の読経が始まっていました。
巨大な鐘を衝きながら、巨大な木魚を叩いて重低音のリズムの中、若い雲水のよく通る声での読経・・・大迫力でした。
これが百名全員の一糸乱れぬお経が堂内を響き渡ると思うと、それは気が遠くなるような別世界を作り出すのだろうなと想像が出来ます。
若い人たちが永平寺の宿坊に泊まり修行体験をすると、禅宗の魅力に目覚めるといいますがわかる気がしますね。
お釈迦さんの涅槃図
法堂・・・非常に重要な仏法の殿堂です。
庫院(食事を作る厨房)
庫院を守る韋駄天
食事は禅宗にとって真剣な修行の場です。
お米・野菜には植物に生命が宿り、その命を頂く事により我らの生命をつなぐことができる・・・典座(食堂の調理番)はもっとも大事な修行の場、食事を戴くときは最も大事な修行とされています。
仏殿を望む
松平家の墓地
永平寺の訓え
永平寺に何度行っても飽きることはありません。
行くたびに異なる感じ方をし、未熟な自分を省み心が洗われる気がします。