2022年7月28日 (木)
久しぶりの「三方よし公開講座」
創業224年の丁吟(チョーギン)に学ぶ!
先週の土曜日、待望の「三方よし公開講座」として井伊家(彦根藩)ゆかりの「近江商人・小林吟右衛門(創業224年)に学ぶ」が実施されました。(主催;NPO三方よし研究所)
滋賀県の東近江市の近江商人郷土館(小林吟右衛門の屋敷)を訪問しました。
玄関でVサインは中澤NPO副理事長(ナカザワ㈱社長)
この資料館の末永館長(同志社大学・名誉教授。我がNPOの顧問)
いよいよ末永館長の講義が始まります。
丁子屋(ちょうじや)という屋号で通称、丁吟(チョーギン)と言われています。
創業者の初代・小林吟右衛門さんは小田苅(こたかり)に生まれました。
1798年に行商を始め、江戸の堀留に織物問屋、京都の呉服の仕入れ店、大阪店へ手を広げ、両替商と呉服問屋を営みました。
息子が後継ぎとして不適だと「押し込め隠居制度」がありました。
近江商人の厳しさを示します。
熱弁する末永先生
両替商(銀行)は、財政が窮乏する大名からの申し入れで大名貸しが多くなります。
丁吟は、井伊家(彦根藩)への貸付を明治政府が肩代りすることに成功します。
大部分の両替商は大名貸し焦げ付きで倒産しますが、これは丁吟の快挙です(^_-)-☆
幕末の井伊直弼(彦根藩の当主、幕府の大老)の開国政策で、外国商人が日本に大挙してやってきます。
日本の金と銀の交換レートに目を付け、金を3分の1の安値で買い付けていきました。
丁吟は、これに目を付け、金を大量に買い付け大儲けをします。
1860年3月3日に桜田門外の変で井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺されます。
講義はヤマ場に差し掛かります。
かくして丁吟は、時代に翻弄されながらも幕末・明治維新を生き抜きます。
老舗についての講義です。
資料館(小林吟右衛門家)の蔵の見学です。
丁吟の店の印半纏(はんてん)
解説を聞き勉強する
初代、小林吟右衛門
2代目もよく伸ばし、3代目で停滞
4代目は、明治~大正にかけて近代産業に目覚める
5代目は、手堅く呉服問屋として昭和の前半を生き抜きました。
5代目と6代目の肖像画が見えます。
5代目までは、小田刈の田舎の吟右衛門家の屋敷で頑張りました。
現在は8代目(82歳)だそうです。
川戸(川に通じる台所の洗い場で鯉などを食用に飼っていました。)
末永先生を中心に記念撮影
昼食は「こがね寿司」にて、交流懇親会です。
左から塚田さん、中澤副理事長、平田委員長
右から岩根専務理事、田中委員長
左から片桐ご夫妻、福井さん
左から、小泉陽助さん、奥田さん、片山さん
井伊家ゆかりのお寺を参拝しました。
龍潭寺(りょうたんじ)さん
龍潭寺のご住職の話を聞く
お隣の清凉寺さん
いずれも井伊家の菩提寺として大切にされています。
幕末~明治維新を乗り越え、大名貸しの崩壊、と金・銀相場の大混乱・・・この難局を無事乗り越え、三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)を信条に栄えた丁吟さんの生きざまは見事でありました。
実に優れた「老舗のケーススタディ」でありました。