2022年8月26日 (金)
奈良の古寺巡り・・・その1
前号のブログで美術館の新企画展「仏教美術と西陣織」を紹介しましたが、お盆休みを使って家内と奈良の古寺を訪ねました。
◆まずは、京都府加茂町(奈良市のすぐ近く)の浄瑠璃寺からです。
浄瑠璃寺は1150年に伊豆僧正恵信が入寺したときより始まる比較的新しいお寺です。
池の西に阿弥陀堂があります。
浄瑠璃寺は、阿弥陀様が九体おられるので「九体寺」ともいわれています。(以下、パンフレットより)
阿弥陀如来の九体(国宝)の中尊像(真ん中の大きな像、国宝)です。
秘仏、吉祥天像(重文)です。
西陣織で織り上げました。(掛軸/西陣織あさぎ謹製)
池の西側に阿弥陀堂(本堂)を見て・・・
池の西側に三重塔があり薬師如来が祀っています。
太陽の昇る東は此岸(しがん)、太陽の沈む西は彼岸(ひがん)
仏教の世界観では・・・
・東の薬師如来は、「過去世」(浄瑠璃浄土)から送り出してくれる。
・中央の釈迦三尊は、「現世」を救ってくださる。
・西の阿弥陀如来は、「未来世」(極楽浄土)に衆生を迎えてくれる。
(浄瑠璃寺は、灌頂堂に宇宙全体の生命の根源たる大日如来がおられる。)
◆泊りは奈良ホテル(登録文化財)です。
天皇皇后両陛下、上皇上皇后陛下など皇室のご愛用のホテルです。
玄関ロビーはクラッシックで、上村松園の絵など名画がお迎えしてくれます。
待ち合いロビーは暖炉があり、アインシュタイン博士が弾いたピアノ、昔の懐かしい置き時計です。
昔の逗留客である志賀直哉、谷崎潤一郎、三島由紀夫は、著書の小説、エッセイに奈良ホテルが登場します。
ディナーのメインホールです。
夜の奈良ホテルの近所の散歩・・・・猿沢の池、興福寺の五重塔
朝ご膳、シンプルですが美味しかった!
◆朝食後、奈良の西ノ京の薬師寺を参拝しました。
薬師寺は天武天皇により発願(680年)、持統天皇により本尊開眼(697年)、文武天皇に飛鳥の地が創建、平城遷都(710年)に現在地に移りました。
中門です。
東塔(国宝)、1300年の年を経て堂々としています。
しかし、奈良は戦火や落雷にあり何回も消失しています。
西塔は、1528年に焼失。1981年に再建
金堂。1582年に焼失、1976年に再建
薬師三尊像(国宝)
本尊台座・・・インド、ペルシャなど世界東西の文様が入る(模型の写真)
大講堂は、2003年に再建
本尊は弥勒菩薩(重文)、仏足石(国宝)
蓮の花の前で、東塔、金堂を背景にして・・・
◆寺院の大復興事業について・・・
・薬師寺は由緒あるお寺ですが、長い間、荒れ果てました。
しかし、高田好胤管主(1924-1998)の勧進によって目覚ましい復興を遂げました。
私たちより24歳ほど年長のお坊さんですが、高田好胤さんの修学旅行生への説法は有名で多くの人の心を打ちました。
全国を勧進の行脚をされ浄財が集まり、昭和~平成にかけて薬師寺は大復興を遂げました。。
白鳳時代(645-710年、奈良朝以前)の威容を復興された高田好胤さんの情熱と行動力に感動しました。
薬師寺の法相宗の源流である玄奘三蔵(600-664)がインドから中国へ経典を伝えました。
これを称えて、平成3年、薬師寺に玄奘三蔵院が新しく作られました。
さらに平山郁夫画伯(1930-2009)は玄奘が旅した天山、バーミアン、デカン高原へと西域からインドへの苦難の旅を大壁画で描きました。
2000年に最後の一筆をいれる平山郁夫画伯
先人たちの仏教への情熱、使命感に心を打たれます。
・東大寺の橋村公英別當(東大寺トップ)は私の母校の同窓ですが、重源(1121-1206年)が源平の戦火で焼失した大仏と大仏殿を復興したのに習い、東大寺の西塔・東塔の再建を念願しておられます。
・興福寺は中金堂を2018年に再建され、さらに伽藍の復元を進めています。
・パリのノートルダム寺院も火災(2019年4月15日)から立ち上がり、長い年月をかけて復興への道のりを歩みだしました。
ウクライナでは多くの文化財が民族のシンボルとして戦争の標的となり破壊されています。
それぞれの歴史、伝統文化、文化財を我々は尊重し、大事にしたいものです。
翌日は、東大寺、興福寺、新薬師寺を廻りました。
次号のブログで紹介させて頂きます(^^♪