2023年8月22日 (火)
伊勢神宮の御料酒・・・白鷹の物語・・・
伊勢神宮は内宮(ないぐう)、下宮(げぐう)、多くの社殿があり、天照大神(内宮)はじめ神々を祀っています。
伊勢神宮外宮(豊受大明神)にて神宮の神々に朝晩のお供えを作って準備するのが重要な仕事です。
お酒は専用の土器(かわらけ)にはいっており、「ご料酒」といいます。
大正13年(1924)に、灘(なだ)の白鷹がご料酒を奉納する蔵元として指定されました。
大正12年は関東大震災でしたから、当時、年間300升は飲まれるという神々のお世話を引き受けられる蔵元はいなかったのかもしれません。
伊勢への交通の便は至難の時代でしたから・・・
白鷹は兵庫県西宮市にあり、いわゆる灘の生一本です。
白鷹は、文久2年(1862)に辰馬悦蔵によって「辰馬悦蔵商店」として創業しました。
小生の姉は辰馬家の次男に嫁ぎ、義兄が昨年に逝去し一周忌の法要がありました。
西宮の禄水苑(白鷹の直営店)の玄関にある吐龍水のポンプ(昔の消防用のポンプ車)
昔の灘の蔵元(白鷹)の屋敷と生活の博物館になっています。
辰馬家の人々
明治30年、二代目が継承し事業は発展し富岡鉄斎が長逗留する文化人でもありました。
大正6年、三代目・辰馬悦蔵(1892-1980)が跡を継ぎ、大正5年(1916)から世界恐慌のあと1933年の間に辰馬家の資産は20倍に増え、白鹿(辰馬本家酒造)と加納家(菊正宗と白鶴)に次いで、辰馬悦蔵商店は銀行や損保会社など多くの企業を設立しました。
その三代目は、京都大学を卒業後、白鷹(辰馬悦蔵商店)を受け継ぎ、事業を大躍進するとともに、考古学に打ち込み銅鐸(どうたく)を発掘して辰馬考古資料館を設立し、その銅鐸コレクションは世界的に有名です。
三代目は非常にビジネス感覚に研ぎ澄まされた方でしたが、とても腰が低く丁重で、小生の父親(4代目喜左衛門・1902-2000)と小生(学生時代)が辰馬家へ盆暮れの挨拶に行くと、いつもご夫妻が出て来られ帰り際は我々親子の姿が見えなくなるまで見送って頂きました。
やっと辰馬悦蔵ご夫妻の姿が見えなくなると、父はいつも額の汗をぬぐってほっとしていました。
京都大学の同窓でもある父は、サラブレッド(貴種)のような辰馬悦蔵さんに尊敬の念をもち、娘の舅(しゅうと・義父)に仕えたのだと思います。
近江商人の質素な商人気質と豪儀な灘の蔵元では気風が全く異なりますので、父なりに苦労したのでしょう。
大正~昭和の蔵元の生活を再現、展示しています。
当時の間取りです。
ちなみに義兄の辰馬伸彦氏は辰馬家の次男で白鷹の専務をしており、生きがいは「数学」の研究で京都大学にて永年講師を務めた有名な数学者でした。
気さくで誠実、質素倹約の義兄でした。
灘の蔵元の矜持を感じる義兄の人柄・人生でした。