2024年2月28日 (水)
母校の荒川先生の社会貢献(^^)/
先週、母校の荒川哲男先生(前学長)が京都にお越しになりました。
まずは西陣織あさぎ美術館をご覧頂き、サロン・ド・ツカキでくつろいでいただきました。
左はWOLL(大阪市大の産官学の合同会社)の田中部長、右は荒川先生(WOLL代表)
荒川先生は医学部出身で、消化器内科の内視鏡の権威で、市大と府大が大阪公立大学に統合する直前まで市大の学長をされました。
荒川先生の夢は、大阪の認知症を減らし健康寿命を延ばすことです。
これによって大阪市民の幸せ、家族の労苦の軽減、社会コストの減少を狙っておられます。
話は盛り上がりました。
いきつけの料理店の玄関飾りです。
ここの大将は男前で腕がよく、女将は気っ風がよく小生の仲良しです。
美味しい絶品の蕪蒸しです。
荒川先生は、大阪市はがんの死亡率が高く、結核病が未だに多く憂いておられます。
いかに早期発見をしてがんを治療するかにかかっています。
先生は生粋の大阪人で、サムライ精神(志と行動力)に満ち、学生に人気のある行動派の学長でコロナ期もお医者さんらしい判断で大活躍されました。
先生はラジオの番組を持っておられ大阪の人気者です。
大阪マラソンでも活躍される山中伸也先生(IPS細胞、ノーベル賞)も母校の大学院で荒川先生の後輩です。
荒川先生のもとで小生も母校の教育後援会(学生への支援団体、PTA)の副会長をしたり、経友会(経済学部の同窓会で母校の支援活動)の会長をしたり、若い時から同窓会活動に熱中してきました。
田中宙海さんはサントリーからのWOLLに出向され大活躍です。
サントリーの創業者の鳥居信治郎氏(1879‐1962)、同期の野村証券の野村徳七氏(1878‐1948)も母校の同窓で大阪で大活躍されました。
田中部長はサントリーだけあって、ともかく酒が強い男勝りの魅力的な豪傑です。
親分の荒川先生は医学部長、学長時代、色々なことに挑戦し実現されました。
母校の創立(明治16年)にあたり陣頭指揮をとった五代友厚公(1836‐1885)の銅像を母校に建立しようということになり、児玉先生(元学長)が代表で実現しました。
2016年の除幕式の日にディーン・フジオカ(俳優)がインドネシアから朝早く到着し、副学長室で仮眠されたあと、荒川先生の学長室で役員はじめ小生らとディーン・フジオカ氏は懇談しました。
五代友厚公の銅像建立式は、荒川学長と児玉実行委員長の挨拶のあとディーン・フジオカ氏のスピーチは実に感動的でありました。
思い出話に花が咲きます。
デザートのキンカンは美味かった( ^)o(^ )
たのしい、たのしいひとときでありました!(^^)!
先生、よくお越しを頂きありがとうございました。