喜左衛門ブログ:President Blog

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2024年9月6日 (金)

夏の日の思い出。ザルツブルグへの旅行・・・欧州の旅。その2

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さて、前回のインスブルックでは、ハプスブルグ王朝(16~19世紀)についての話題が多かったですが、そもそもオーストリアとは・・・
日本でオーストリアというと8割の方はオーストラリア(南半球)をイメージされます。
ですから東洋人と話すとき、オーストリア人は自己紹介するときに「ノー・カンガルー」(非カンガルー国)と茶目っ気で言います。

地図で見ると、大きく接するのは北のドイツで、言語もドイツ語です。
オーストリアの西はアルプスで、東は平地でハンガリーの大平原につながります。
西のチロル地方は昔はイタリア領で、スイスのアルプスとは山脈でつながっています。
南はスロベキアと接し、北東はチェコ、スロバキアと接し、合計7か国と国境があります。
オーストリア大公国の時代は、周辺国を版図にして治めていました。

さて、今回の旅行はドイツのミュンヘンからバスでインスブルックに行き、それからザルツブルグの周辺を回遊して、ドイツのフランクフルト経由で日本に戻ります。
(西の端のウィーンには行かない)

バスで山並みから平らな牧草地を走ります。

◆「北のローマ」と呼ばれるザルツブルグにきました。
ザルツ(英語でSOLT、塩)、ブルグ(城)の意味です。
欧州では塩は貴重品で、塩と金は同じ価値と言われました。
ここは岩塩の産地で、山から大量の良質な塩を産出する豊かな土地柄なのです。
モーツアルトが生まれた地で音楽祭が有名です。
「サウンドオブミュージック」の場所としても有名です。
このミュージカル映画は1965年に封切りされ、小生が17歳のときで熱中して見ました。

ミラベル庭園とミラベル宮殿

17世紀初め、大司教ヴォルフ・ライテナウが愛人サロメ・アルトのために作った宮殿で、最初はもじって「アルテナウ宮殿」と言われました。
大司教は国王以上の権力をもっていたのですね”(-“”-)”

「天使の階段」

サウンドオブミュージックの撮影現場で使われたお花のトンネル

ザルツブルグが酷暑でレストランで一服

ハプスブルク家の家系図のツリー

◆ここからはザルツブルグの旧市街です。
ザルツァッハ川とマカルト橋を越えると中世の世界です。

リンツアーガッセ(ガッセは小路)は大人気


教会



ホーエンザルツブルグ城塞、神聖ローマ帝国の大司教の城です。



大聖堂


◆ザンクトヴォルグガングの白馬亭(ホテル)から望む早朝の湖(ザンクトは聖なるの意)

シャーフベルグ山(1783メータ)への登山列車

アプト式;車輪に歯車があり、レールの歯車と嚙み合いながら急坂を登る

いよいよ出発、おとぎの国みたい・・・♬

山の頂上は絶景でした。

ヴォルグガング湖のクルーズの小旅

ザルツカン・マーグート地方(ザルツ:塩、マーグート:宝庫)の旅です。
◆世界遺産「ハルシュタット」(ハル:白い、塩。シュタット:場所)に行きました。

ケーブルカーで山頂へ登りました。

怖さのピーク・・・・・


さらに山頂へ




登山列車で下山です。


ザルツ(岩塩)を運ぶ女・・・・重労働は我慢強い女性の仕事です(@_@)

ハルシュタットの湖の風景

「伊根の舟屋」とそっくりだと思ったら京都府伊根町(町並み保存地区)と姉妹都市でした。

ハルシュタットの広場・・・実はここは韓国で大人気のスポットで「聖地」だそうです。

韓国の女性がモデルさんのようなポーズをして盛んに写真を撮っていました。

◆最後の訪問地、バード・イシュルに行きました。
皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃エリザベート(愛称シシ)のゆかりの離宮・カイザーヴィラ

2024年の欧州文化首都になったバードイシュルの町並み

3日間お世話になったザンクトヴォルグガングの白馬亭にて、ガイドの阿部さんと・・

長いようであっという間の「欧州、オーストリアの旅」でした。
思い出は・・・チロル・アルプスの大自然、ハプスブルグ家の栄華、オーストリア大公国の歴史と文化で、それは素晴らしいものでした。
ブログ2巻、お付き合い頂き心より御礼申し上げます<(_ _)>