2024年9月11日 (水)
我の大好きな有田焼
有田焼って、大判焼き?
それは今川焼です。
「清水焼」っていうと陶磁器のイメージですが、「有田焼」は江戸時代から続く佐賀県の有田町にある有名な陶磁器の産地で伊万里港から出荷されるので「伊万里」ともいわれます。
関西の人は「みかん」だと思ったという方もあるかもしれません。
あれは和歌山県有田市の「有田(ありだ)みかん」であります(^^♪
甘いみかんで一流ブランド、小生も有田みかんは大好きです!(^^)!・・・バカ話で失礼しました。
◆さてその有田焼の一番有名なブランドは「柿右衛門」です。
小生は14代目の酒井田柿右衛門(1934-2013年、79歳で没)のファンなのです。
「濁手三ツ割花文」14代柿右衛門作(人間国宝)
彼は柿右衛門家の長男に生まれ、父(13代目)からロクロを学び、祖父(12代目)から絵と絵具(釉薬)を教えられました。
跡継ぎとして父の言う通り高校では美術を学び、多摩美術大学日本画科に進みます。
しかし古いしきたりの陶芸の世界にうっ憤を感じ、家出を繰り返す不良青年になっていきます。そのたびに祖父(12代目)が探索をして連れ戻しに来たそうです。
350年前に乳白色(濁手)の地に赤絵を書いて大好評を得た初代、そして300年を経て祖父と父の研鑽によって1955年に無形文化財になりました。(14代目が21歳の頃)。
40名の職人集団である柿右衛門窯は、1971年に重要無形文化財になりました。(14代目が37歳の頃)
1982年、彼は父の跡を受け57歳で14代目を襲名します。
偉大な祖父、強靭な父は人間国宝、14代目は2001年、67歳でやっと人間国宝と認定されます。これは有田産地が待ち望んだ朗報でありました。
伝統の技法にのっとり、革新的な匠をあるのが人間国宝なのですから、これは難易度の高い(矛盾した)選定基準であります。
柿右衛門の稲の香炉
私はこの柿右衛門の香炉の蓋(ふた)を誤って落として割ったのであります。
香炉の中身と蓋のマッチングがちょっと不具合で・・・当方の失敗を大先生のせいにする私の悪い癖があるのです。
・・・で、すぐに自己反省をし蓋の代わりに錫で火屋(ほや)を別注してかような姿になりました。
真新しいとき錫はピカピカでしたが、ちょうどよい色に落ち着いてきました。
ケガの功名であります。・・・・私は負け惜しみの強い性分です”(-“”-)”
私は有田町の柿右衛門窯に行き、色々な製法を勉強しました。
大阪の百貨店の美術ギャラリーで柿右衛門さんのトークがありました。
立派な自作の大壺を背景に14代目は語られました。
「陶磁器にはきれいなものと美しいものがあります。この壺は白磁の地できれいで輝いていますが、濁手は白濁色です。先祖伝来の本当の美しさがあります。」
自身の大作の壺を謙遜してけなされるので、百貨店の外商部のメンバーはコケそうになりました。14代は実に潔く謙虚で誠実なのです!(^^)!
このスピーチを聞き、小生はすっかりファンとなりました。
次代の15代目、頑張ってください(^^)/
さてこれは、同じ有田焼の14代目・今泉今右衛門の作品です。
「色絵薄墨墨はじき四季花文花瓶」
13代目(人間国宝)の次男さんが跡目を継ぎ、14代目今右衛門となりました。
意欲的な創作活動で早くに人間国宝に認定され、素晴らしく華麗な作品を制作されています。
今右衛門家の作風とドラマは後日紹介したいと思います。
佐賀県の唐津焼の名門、中里太郎右衛門です。
14代目、中里太郎衛門の作品
伝統的で偉大な12代目(人間国宝)、それに反逆した芸術家の13代目(芸術院会員)、跡を継いだ14代目。
太郎右衛門窯を訪ねて親子孫の葛藤を痛切に感じました・・・
これはガラスの名匠、藤田喬平の息子、藤田潤(1951-)の作品です。
「カボス」
野性味と外連味(けれんみ)のあった偉人の父・藤田喬平。
ガラス工芸を日本にもたらし琳派をガラスで表現し、ガラスの蓋物(ふたもの)を得意として世界に名を知られました。
フランス人が「この美しい箱は何をいれるのですか?」と問われたとき、藤田喬平は「夢を入れる箱です」を答えて悦に入った話は有名です。
藤田潤氏は父からガラス工芸の技法を学びながら、まったく違う作品を作りました。
親子で競う素晴らしい相克ですね(^^♪
芸術の世界は面白いものですねぇ・・・