2024年9月30日 (月)
山中温泉の「かよう亭」に行ってきました。
1週間まえ、家内と一緒に山中温泉に1泊で行ってきました。
サンダーバード(JR北陸線の特急)に乗って、京都―加賀温泉(石川県)という昔のルートは廃止され、今は、京都―敦賀(サンダーバード)で乗り換えて、新幹線で敦賀―加賀温泉に向かいます。
この乗り継ぎが面倒で、関西人は口をそろえて「加賀が遠くなった」と言います。
実際、新幹線効果で加賀温泉はお客さんが3%減ったそうです”(-“”-)”
石川県加賀温泉の客は関西6割、関東4割だそうで、新幹線効果で乗客が減った事例は初めてだそうです。
立派になったJR加賀温泉駅・・・人口6万7千人の町です。
加賀温泉駅から車で15分、山中温泉です。
山中温泉の伝統のある「こいこい祭」、勇壮に獅子舞が出ています。
「こいこい祭」は山中温泉の年間最大のお祭りです。
山中塗りの木地師の佐竹泰宏さんの工房を訪ねました。
真ん中は故・佐竹康宏さん(泰宏さんの父)の奥さん、その右が佐竹泰宏さん夫妻
十数年前に次の人間国宝と期待された木地師・佐竹康宏さんと仲良くなり、小生夫婦は何回も工房を訪れ、佐竹さんも拙宅の五個荘本宅にも来てくれました。
今、息子の佐竹泰宏さんを応援しています(^^)/
木地師は原木から材料を切り出し、乾燥に年月をかけ、木地が落ち着いたところでロクロを回してお椀やお盆や花生け器を作ります。
我々の故郷の東近江市の永源寺町の小椋谷に木地の里があり、惟喬親王(第55代文徳天皇の第1皇子)が小椋谷へたどり着き(859年)、19年間亡くなられるまで暮らされたそうです。この惟喬親王が木地師伝説の祖なのです。
山中温泉の「かよう亭」に到着しました。
温泉でひと風呂浴びて、鶴仙渓を散歩しました。
大聖寺川が滔々と流れます。
清流と樹々の緑が織りなす初秋の風景です。
あやとり橋(草月流の勅使河原宏さんの作)
山中温泉の総湯
総湯の曲輪がこいこい祭の会場です。
山中節のからくり時計
かよう亭に戻ってきました。
亭主の上口昌徳さん(91歳、現役社長)がお元気に登場されました。
小生夫婦が「かよう亭」に来たのが23年前、小生も50過ぎで上口亭主に旨い蕎麦屋さんに連れって頂き、地元の芸術家を紹介して頂き、大変親身に面倒を見て頂きました。 上口さんにも我々の五個荘本宅にお越しを頂きました。
上口さんは世に先駆けて上質の温泉旅館を創造され、県会議員にもなられ石川県の観光業行政に尽くされ、大変な文化人であり、伝統工芸に大いに支援されています。
上口亭主夫人も89歳になられ、ご夫妻ともお元気で大いに勇気を頂きました。
山中温泉の湯につかって夕食です。
山中温泉は湯が上質で、橋立港の新鮮な北陸の旨い魚、美味な山菜、酒がいい・・・
山中温泉は、木地師の川北良造(1934-、人間国宝)を筆頭に、山中塗り、九谷焼きなどの伝統工芸の優れた里です。
かよう亭の朝
日本一の朝食です
この焼き海苔が極上・・・
館内は朝のみずみずしさが漂っています。
温泉宿らしい遊び心があふれています。
鶴仙渓にある芭蕉堂
黒谷橋
「こいこい祭」の本番です
高校の弓道部のチームで、弓を引くポーズです。
若い力でみなぎっていました。
「加賀依禄園」をはじめて訪問しました。
この元旅館は山中温泉の名門旅館で天皇がお泊りになったり、川端康成が逗留し栄えましたが不況で破綻しその後、加賀市はこの歴史豊かな別館を譲り受け、加賀市が大工事をして往時の姿に蘇らしました。
天皇の謁見の間
従者の間
珍しい金唐革紙
豪華な天井
お抹茶を頂きました。
加賀市の大投資によって、山中温泉の新名所ができました。
かよう亭でのつかの間の休日でした。