喜左衛門ブログ:President Blog

喜左衛門ブログ:President Blog

2024年10月17日 (木)

近江商人博物館への寄贈

LINEで送る

我らの先祖の地、東近江市五個荘金堂町は、昔から近江商人発祥の地として知られ、近江商人屋敷が軒を連ねる町は「町並み保存地区」(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されました。

「三方よし」を共通の理念とする商人集団のあり様に公立の近江商人博物館が設置されました。
質素倹約、時間を惜しんでよく働く気風があり「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしが定着した地域でもあります。
今日は、東近江市役所へ小椋市長を訪ねました。

近江商人博物館へ、近江商人ゆかりの画家の掛け軸を寄贈する運びになりました。
昔、近江商人は寺子屋で子供に「読み書きソロバン」を教え込み、特に算術は熱心に教え込みました。10歳から内丁稚として仕込まれ、ぞうきん掛けから礼儀作法、さらに座敷の調度品の整理、掛け軸の虫干しまで教育されました。
いわゆるビジネスのリベラルアーツを徹底的に仕込まれたのです。
その一環として書画骨董の類も仕込まれ、その中から近江商人の家系から文化人が育ったのでしょう。
その中で、東近江市生まれの画家、邨松雲外(1870-1938)と野口謙蔵(1901―1944)の掛け軸を東近江市立近江商人博物館へ贈ろうというわけです。
小椋市長から感謝状を頂きました。

小椋市長は永源寺の歴史ある木地師の里の生まれで同志社大学から県警に務められ、東近江市長になられました。実は、筋金入りの文化人です。

文化スポーツ部の部長さんらとともに懇談しました。

近江商人博物館の上平館長の挨拶のあと、福井学芸員から掛け軸の説明です。

邨松雲外の「菊童児」

周の天子から寵愛された童子「慈童」がいましたが、周囲にねたまれ流されるが菊の葉に経文を書きその霊水を飲むと不老不死となりました。
中国の故事から能舞台でも演じられる縁起のよい演目となりました。

邨松雲外の「富士の図」と「朝陽の図」

雲にたなびく富士山から鶴が群をなして飛来する図、実に丁寧の描かれています。

野口謙蔵の「晴天に図をえがく」

米田雄郎(東近江市石搭町の極楽寺の住職・歌人)の文字に野口謙蔵がこいのぼりを描きました。
石搭寺は渡来文化の石塔で有名ですが、米田と野口謙蔵は気の合う友達でした。

小椋市長は近江の歴史文化に詳しく、市長と小生の共通の仲間の藤野滋(藤野商事㈱の社長)も同類で、近江の文化度に脱帽でありました。