喜左衛門ブログ:President Blog

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2025年1月14日 (火)

新薬師寺と一休寺を尋ねて

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奈良ホテルに一泊して朝はメイン・ダイニング「三笠」で和定食

心のこもった美味しいお料理でした( ^)o(^ )

さて奈良ホテルから徒歩半時間で新薬師寺です。
新薬師寺は、天平19年(747年)、聖武天皇の病気平癒を祈願して、光明皇后が創建されました。

新薬師寺の本堂

薬師如来坐像(国宝)

十二神将(国宝)

神々しいお姿でした・・・

次は帰途、京田辺市にある一休寺を訪れました。

「トンチの一休さ~ん」でお馴染みの一休宗純(1394-1481、87歳で没)です。
一休さんは型破りな禅寺の坊主で、臨済宗大徳寺の第48世の住持となりました。
禅僧にもかかわらず、ともかく肉は食うは、妻(森侍者)は持つは、ドクロを杖の先につけて「ご用心、ご用心」(明日の命をはかなむ)と叫んで歩いたり・・・
浄土真宗の蓮如上人の居間に上がり込み、阿弥陀仏像を枕にして寝るは・・・帰って来た蓮如は「ワシの商売道具になんとする」と大笑いしたとか・・

一休寺の方丈の北庭

東庭

北庭

虎の衝立

庫裡の偉容

唐門

一休宗純の石像

一休さ~んの石像

石仏群

一休さ~んのまもり仏さん

風変りな禅僧であった一休さん、大徳寺の権威であった一休宗純さん
なにか矛盾する「一休イメージ」ですが、その両方は併せ持つ一休さんでした。

一休さんの禅語
21歳とき、師の公案に対して、「有漏路(うろじ;迷いの世界=煩悩)より無漏路(むろじ・悟り(仏)の世界)へ帰る一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け」と応えて、師は「一休」という道号を与えました。
26歳のとき、ある夜、カラスが鳴いてにわかに大悟する。師は印可状を与えようとするが権威を認めない一休は辞退します。その毅然として姿を見た師は、「ばか者」と言いながら笑って送り出しました。
87歳でマラリアにかかるのですが、臨終の言葉は「死にとうない」だったそうです。