2025年3月12日 (水)
お江戸、日本橋の旦那衆
前回ブログは「大阪の日本橋」(ニッポンバシ)でしたが、今回は「お江戸の日本橋」(にほんばし)の旦那衆の話です。
ここは日本橋の真ん中、三越日本橋本店です。
三越のライオン前に三井不動産のビルである「コレド室町」があり、その5階に「日本橋倶楽部」があります。
この倶楽部は、明治23年(1890年)に創立され東京でも老舗の社交倶楽部です。
ご縁があって10年ほど前に入会させて頂きました。
入会審査があり、理事さんら数人の前で面接があり、紹介者と新入会員候補の「お受験」がありました。 若い時の入社試験の面接のように緊張しました。
日本橋倶楽部は、三越、高島屋、野村證券、清水建設、日本橋の老舗の呉服問屋、うなぎ屋、天ぷら屋などの日本橋の有名どころが会員(600名ほど)です。
江戸時代の初期から近江商人が沢山、日本橋のたもとへ出店した経緯があり、この界隈は不思議に近江出身のお店が多いのです。
弊社は61年前から日本橋浜町に東京事業部があり、三越日本橋本店さんらの推挙もあり小生は日本橋倶楽部の会員になりました。
さて、今日は会員スピーチでお味噌の勉強会です。
佐野味噌醤油店(江東区亀戸)の佐野社長と奥様・ご子息が出席され講話です。
味噌にかける情熱は素晴らしく「噌ムリエ」(味噌のソムリエ)の佐野社長さんです。
まずは「江戸と味噌の関係」・・・非常に親しみやすい序盤の話です・・・
麹町、霊厳島(現在の新川あたり)と味噌のなれそめの話
佐野味噌醤油店は創業90年、現在も70銘柄の味噌を扱い、試食ができて味噌料理について教えてもらえる味噌天国の老舗です。
熱く語る佐野社長さん
そもそも味噌とは・・・
全国の各種の味噌産地・・・全国にローカリティ豊かに味噌の製法と味があります。
各家庭にも味噌料理があり、それぞれの自慢は“手前味噌”であります(^^)/
ここから実技で味噌を味わいます。
なんと出席会員30名ほどに全員、配られました。思わぬ展開です。
愛知の八丁味噌、秋田の羽後味噌、奈良の白味噌、薩摩の麦味噌・・・
なめ比べで特徴を勉強しました。
ここでおみそ汁を楽しむ5つの要素
カップに熱い昆布だしが登場し、味噌を溶いてミニみそ汁を作り味わい比べです。
佐野さんのおかげで味噌への造詣が深まり、すっかり味噌ファンになりました。
ホスピタリティ豊かな博識の佐野社長さん、私は佐野さんの信奉者となりました(^^)/
さて日本橋倶楽部の会員さんである人形町の田源さんを訪問しました。
田中源治会長は昔から知己ですが、今日は息子さんの田中源一郎社長を訪ねました。
創業200年を超える老舗の呉服卸の田源さんは、滋賀県・愛知川町の出身で五個荘の拙宅から歩いて半時間位の集落の出身で、「三方よし」の近江商人です。
代々、「田中源治」を襲名され、現社長さんは源一郎さんです。
小生も若いときは喜一郎で社長になり「喜左衛門」を襲名しました。
源一郎さんに「源治」を襲名することを約束しました。
日本橋倶楽部には、●●右衛門、〇〇左衛門、△△兵衛が多いのです。
さて、源一郎さんいわく・・・・
ボンボン育ちの源一郎さんは電通で修行したそうです。
早稲田や慶応のラグビー部の主将でやる気と体力に満ち溢れた同期生に囲まれ、彼らは異様なほどテンションが高く夜2時、3時まで平気でモーレツに働きます。
電通の新入社員の源一郎さんは、もう死ぬかと思ったそうで、3年間、生き永らえて修行を終えたそうです。
さすが名門の電通さん、源一郎さんは得難い経験でした。
立派な田源ビル1階で浮世絵展を開催されていました。
耕雲堂(平賀源内が蔦屋重三郎へ与えた屋号)のコレクションです。
記念撮影です。
田源さんの200年の歴史
懐かしい5つ玉のソロバンですね。
大福帳など多くの江戸時代の帳簿ですね。
田源さんは堀留の呉服問屋として大成功されました。
田中源一郎社長とともに記念撮影です。
田源さんと弊社はもう百年くらいのお付き合いがあります・・・
お江戸の日本橋の旦那衆の話はずが、近江商人の話になりました。
浮世絵展、NHKも公認だそうでお越しくださいませ(^^)/