2012年3月26日 (月)
加賀友禅と宮崎友禅斎
京都和装株式会社 加賀友禅チームより
加賀友禅は、京都で修行した扇絵師、宮崎友禅斉が、江戸時代中期に金沢に帰り、
もともとあった加賀のお国染めと友禅斎が広めた技法が合わさり、加賀友禅
が確立されたと考えられています。
以後の精巧な伝統技術を多くの友禅師の手から手へと継承され、昭和30年に
木村雨山が加賀友禅技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、
今日の加賀友禅の隆盛をみることになります。
友禅斎は60歳で金沢に帰るまでの約30年を京都で過ごしました。
その扇絵師から着物作家となる京都時代、多くは謎ですが・・・・・
「好色一代男」に登場する友禅斎?
友禅斎の名が初めて登場するのは1682年の井原西鶴の「好色一代男」で、
京都で評判の扇絵師として登場しています。
伊達男の間で「友禅扇子を持たない人はお洒落ではない。」との記述から
その人気ぶりを知ることが出来ます。
「奢侈禁止令」をかいくぐった友禅染め?
友禅扇子の人気に目をつけたどこかの呉服屋が、友禅斎に小袖の図案を注文
したのが友禅染めの始まりとも云われ・・・・・
おりしも幕府の禁令で、金銀の刺繍や絞り染めの「総鹿の子」など、贅沢な着物
が禁止され庶民の贅沢が制限されていた中、防染糊を使用するのみで色鮮やかな
友禅斎の着物は、幕府の禁令をかいくぐる事が出来ました。
友禅斎が描く模様は、いかにも扇絵師らしく絵画のごとくとても華やかでした。
友禅斎着物は美しいものに飢えていた庶民のハートをつかみ大流行。
いつしか、「友禅染め」と呼ばれるようになりました。
友禅斎、「祇園梶子」とコラボする?
梶子は八坂神社近くで茶店を営む店主であったが、幼少の頃より歌才に恵まれ、
歌集「梶の葉」を出版する。その挿絵を知恩院前に住んでいた友禅斎が担当して
いる。全国から梶子の和歌を目当てに訪れた客で店は繁盛し、友禅斎が描いた
扇子に梶子が和歌を書く、そんな豪華な京都土産もあったとか。
ちなみにこの茶店を営む梶子、養女の百合、孫の町の三人は「祇園三女」と呼ば
れ、孫の町は画家の池大雅と結婚している。
友禅斎はマルチなデザイナー?
友禅斎は「源氏雛形」、「和歌物あらかい」、「余情雛形」など、雛形本と
呼ばれる、現在でいう図案帳(デザインブック)を数多く出版しています。
友禅のデザインブックは、着物のみならず、扇子、風呂敷、文箱、本の表紙など
様々な用途に使用され、友禅のデザインの人気が高かった事を物語っています。
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木村雨山作 「あやめ」
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最後に加賀女流作家展の告知を
京都和装は昭和58年より毎年夏に金沢にて
「加賀友禅選抜女流作家新作競技会」を主催しています
第29回(平成23年)の競技会の様子
女流作家たちが新作着物を持ち寄り、それぞれの技術を披露する競技会で、
伝統工芸、加賀友禅の技法を受け継ぎ、女性らしいしなやかな感性でとらえた
自然美を情感豊かに、優美な模様に描いた作品が多く出展され、今夏は第30回に
なります。
その様子はまたブログで報告します。